汝を愛せー平 さんの手紙から

青の洞窟

他者に対して味方とか敵とかという概念を持ってはいけませんよ。

起きてくる事は全て自分が原因でドラマを造っている事をはっきり知る必要があります。つまり、自分に対して自分がしている事が反射的に起きてくるのです。

自分自身をどう見ているかによって、人からも同じようなことをされるのです。

要するに、自分を貶したり、自分を嫌悪すれば、人からも貶され、嫌われるのです。自分を愛して大事にすれば、人からも愛され大事にされるのです。

この法則に早く気付いて下さい。

貴方が変わるしか、貴方の世界は変わらないのです。

貴方が変わるしか、貴方の世界を変えられないのです。

百%、自分が見る世界を作っていると思えば、もう他人のせいにすることはないでしょう。

だから、自分を大事にしてください。自分を大切にしてください。もっと自分を愛してくださいな。

韓国モダンダンス「冬眠のノック」

フィレンツェ

 

作家の山崎朋子さんのお誘いを受けて、韓国のモダンダンスを見に行ってきました。場所は、目黒区の東大駒場前駅にある「こまばアゴラ劇場」。平田オリザが主宰する劇団青年団の本拠地です。

 

演目は「冬眠のノック」というタイトルで、韓国の伝統舞踊、モダンダンス、創作舞踊の3部作になっており、このうちのモダンダンスを見ました。演者は、カリムダ・ダンスカンパニーにです。平田オリザが総合プロデューサーで、舞台を見に来ていました。

 

まるっきり、予備知識も何もないまま、見たのですが、わずか50分の演技に色々と感慨深い要素がふんだんに織り込まれており、しばし、俗世間の柵(しがらみ)から逃避することができました。(カリムダ・カンパニーは、1980年に韓国の名門漢陽大学出身者を中心に結成されたそうです。)

 

パフォーマンスは、3幕仕立てになっており、第一幕は、若い男のダンサーを写したビデオ映像が、観客に向けて映し出され、ダンサーは、光を反射するギンラメの傘を振りかざして、椅子に座ったり、踊ったりしていました。第二幕には、若い二人の男性ダンサーが、オフィスと思しきフロアで、書類の束を狂言回しにしてじゃれあうようにして踊り、第三幕では、中年の男性と若い女性が、激しく愛を交歓するような感じで、スケートのアイスダンスのように、男が女を高く持ち上げたりして、舞台所狭しといった感じで踊りまくっていました。擬態音や笑い声はあっても、意味のある言葉は発しませんでした。最初、全く、予備知識がなかったので、日本人かと思ったのですが、顔付きなどで、どうやら違うようだと途中で分かったのです。言葉ではなく、体全体で感情や思想や哲学を表現するダンスという芸術の奥深さを感じた次第です。

 

観客は若い女性が多く、中高年の男性もちらほらいて、全部で70人くらいいたのではないでしょうか。「面白かった」という感想ではないですが、「こういう世界もあるんだなあ。ダンスだけでは食べていくのは大変なんだろうなあ。疲れるだろうなあ」といった愚直な感想しか思い浮かびませんでした。(失敬!)

 

帰り、渋谷駅のターミナルを通ったのですが、その人の多さには唖然を通り越して、笑いがこみ上げてきました。あれだけの混雑は、世界遺産ものです。そういえば、最近は銀座専門で、池袋、新宿、渋谷といった新都心のラッシュ時にはあまり足を踏み入れてなかったので、そのカオス状態の雑踏は久しぶりでした。あの雑踏の真っ只中にいれば、正常な人間も狂うでしょうね。「過疎」の帯広が懐かしくなりました。

 

インターネットも顔が見えないだけで、カオスの雑踏状態であるのかもしれませんね。最近のネット上の中傷合戦を見聞きするたびに、その思いを強くしました。

とほほ…

 カプリ島

今日、A社のBさんから電話があり、「あなたのブログに私の経歴のことを含めて、個人的なことが事細かく書かれているようですが、困るので削除してほしい」との連絡がありました。抗議といったものではなく、とても低姿勢な「お願い」のような感じだったので、こっちがかえって恐縮してしまいました。

いやあ~、もちろんこれは私のミスですね。ご本人に確認することなく、ついつい、書いてしまいました。早速、「削除」の手続きを取りました。

でも、書いたのは、半年以上昔の話です。今更という気がしないではないのですが、今は「検索」という便利なツールがあるので、いつでも、どこでも、どんなときにでも、見つけることができます。こうして書いていても、全世界の不特定多数の人に発信しているという意識を欠いていたことは確かでした。今後、気をつけなければいけませんね。こちらが良かれと思って書いていても、知らず知らずのうちに、善意の加害者になってしまいます。

今後も、権威者や勘違いしている脳天気な人には、歯向かいますが、普通の一般の人を貶めることはこのブログの目的ではありません。これだけは強調しておきたいと思います。

『獄中記』

 フィレンツェ

 

今年に入って、密かに読み続けている本があります。一日、数ページ読んでは、「箸休め」のように、本を置いて、ゆっくり感動に浸って、また翌日読むといった蝸牛のようなペースで読み進んでいます。一気に読んでしまうのがもったいないのです。

 

本の大海の中から、ようやく必要なものを見つけ出したような感覚です。もしかしたら、大変な名著で、この先、何十年も読み継がれる本なのかもしれません。読みながらも、偶然、鉱脈に当たったという手応えを感じています。

 

前置きが長くなりましたが、この本は、佐藤優著『獄中記』(岩波書店)です。佐藤氏に関しては、「恫喝悪党」鈴木宗男代議士と手を組んで、個人的に外務省を操ってきた影の人物というマスコミを通じた認識しかなかったのですが、二年前に彼の著作である『国家の罠ー外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)を読んでから、その認識は百八十度変わりました。鈴木宗男氏とは、北海道で直接、何度かお会いして、その政治的情熱に触れることができ、以前の偏見を拭い去ることができました。

 

『国家の罠』では、国家に忠誠を尽くした一人の外務省の役人が、時の政権の政策転換の生贄として、国策として、罪状をでっちあげられたーというのが佐藤氏らの主張でしたが、その理論的根拠となる、いわゆる理論武装の種本のような著書がこの『獄中記』に当たります。

 

ヘーゲル『精神現象学』、ハーバーマス『公共性の構造転換』、カール・バルト『キリスト教倫理』…その旺盛な読書量には圧倒されます。しかも、ドイツ語、ラテン語、ロシア語、フランス語、チェコ語、ギリシャ語、アラム語…と語学の勉強に余念ありません。どういうわけか、数学のⅡ、Ⅲ、A、B、Cまで勉学まで励んでいます。獄中にありながら、国家の税金で三度の食事を与えられ、静かな環境で勉強に集中できるので、こんな有り難いことはないと感謝の言葉さえ、何度も書き連ねています。

 

大杉栄やドストエフスキーも驚愕するほどの勉強量です。

 

仮出所した後の佐藤氏の著作活動には目を瞠るものがありますが、こういう「基礎」があったからといことが、初めてこの本で分かったのです。

 

恐らく、この本は「公表」を前提に書かれたか、「公表」するに当たって、かなり、個人的な感慨部分は割愛されたように思います。何しろ、普通の囚人だったら、書きそうな、塀の外にいる家族や親しい人に対する恋慕の情や懐かしさや後悔や希望など、少なからず吐露すべき心情があるものですが、この記録には一切出てきません。半分ほどは、弁護士への手紙が収録されていますが、只管、裁判に勝つため、理論武装のための思索ノートに徹した感があります。

 

かといって、非人間的な側面は感じられません。読者に共感を拒絶していないため、読者もまるで著者と同じように独房に入って、一緒に思索を重ねているような錯覚さえ起こさせてくるのです。

 

ここで、二、三箇所、抜書きしてみます。

 

「拘置所の中にいると、入ってくる情報が極端に少ないので、思い煩わされることも少なくなります。現下の状況では、拘置所の中にいた方が心理的負担が少ないと思います。以前、インド仏教思想でナーガルジュナ(龍樹)の学説すなわち中観思想を勉強したときのことを思い出します。この学説によると、苦しみとか悩みというのは、人間が情報に反応して、様々な意識を抱くゆえに生じるということになります。余計な情報が入ってこなければ、思い煩うことも少なくなるわけです」(31ページ)

 

「プロテスタントから見れば、ルター、カルバンは英雄ですが、カトリックから見れば極悪人です。鈴木宗男先生にしても、二〇〇二年一月末までは外務省にとっては『守護天使』でした。今では『悪魔』です。」(88ページ)

 

「キリスト教神学では『何事にも時がある。時が満ちて初めて、次に進むことができる』という時間概念があります。今はじたばたしても仕方ありません。『時が満ちる』のを待って、ひたすら潜在力を付けることが賢明と考えています。他人を憎んだり、人間としての優しさを忘れ、自己中心的になるのではなく、あくまでも人間として崩れずに『時が満ちる』のを待ちます」(114ページ)

「聴いて得する日本の大衆芸」

襟裳岬

キングレコードの杉さんから「聴いて得する日本の大衆芸」のCDを送ってもらいました。全5枚あり、送って戴いたのはそのうちの一枚ですが、内容はこんな感じです。

●第一集「ストリート・パフォーマンス」

紙芝居「天狗剣士」(梅田佳声)、チンドン屋「真室川音頭」(小一堂宣伝社中)、物売り「がまの油売り」他

●第二集「艶笑よもやま噺」

艶笑噺「新婚箱根の一夜」(柳家三亀松)、江戸艶ばなし(三遊亭円龍)他

●第三集「ハイカラソングまるかじり」

鎌倉節、法界節、オッペケペー、デカンショ節、よさほい節他

●第四集「下町浅草・演芸の街」

チャップリンの消防夫(牧野周一=牧伸二の師匠)、ベアトリ姉ちゃん(田谷力三、榎本健一)他

●第五集「相撲甚句アラカルト」

相撲甚句「まくら唄」「大阪場所」「四十八手」(元栃桜他)等

…小沢昭一さんが泣いて喜びそうなものばかりですね。

送って戴いたの、このうちの第三集の「ハイカラソング」です。幕末から明治、大正にかけて大流行したヒットソングを集めたものです。当時は、本当に楽しみとして花柳界などで唄われたのでしょうが、今聴くと、あんまり、ピンと来なくて、学術研究の苦行に近いものになってしまうものなのですね。

当時は、もちろん、ラジオやテレビがない時代ですから、流行歌は、寄席や歌舞伎などの舞台から生まれ、花柳界などに広まったようです。

例えば、鎌倉節は、江戸で飴屋が「米山甚句」にして唄ったものが流行し、明治初年に歌舞伎役者の四代目・五代目菊五郎が取り入れて、飴屋に扮して踊って、一層流行したと解説にあります。

私は、「ぎっちょんちょん」「オッペケペー」「よさほい節」「デカンショ節」は辛うじて知っていましたが、あとは殆ど知りませんでした。「法界節」は、明治二十四年頃に長崎で歌われ、「長崎節」といわれていた。その後、若い娘の門づけ唄として流行した。と書いてありましたが、この「門づけ唄」という意味が分かりません。

何しろ、花柳界が亡んでしまい、これらの唄を披露する場が失われてしまいました。外での物売りも街から消えました。こうして、からうじてCDの中に生きるのみです。

無料で出版できる?!

ヴェローナ

すごいことを聞きました。

日頃から私のブログにわざわざアクセスしてくださる皆さんにだけ、そっとお教えします。

な、な、な、何と、タダで、自分の本が出版できるのです。「ありえない」と思われるでしょうが、本当です。いや、正確には、のようです。私自身まだ試していないからです。そのコンセプトは、ヤフーやグーグルなどのフリーメールのようなものです。何かで、広告費を得ているようです。自分で価格を決めて、販売もできます。これらは、すべて、インターネット上で行われます。ですから、在庫品を収納する倉庫もいりません。

最近、自費出版の会社が、言葉巧みに勧誘して、膨大な製作費を吹っかける話を聞いたことがあります。依頼者も、結局、売れない本の束を抱えて、右往左往してしまうのです。

確かに市販の本のように、装丁はしっかりしていませんが、私もいつか挑戦してみたいと思います。皆さんの中で、既に、試された方はコメントくださいね。

この便利なホームページは、「My Bookle(マイブックル)」と言います。

アドレスは、http://www.mybookle.com/browse/main  です。

 

地球温暖化の恐ろしさ

「環境省のチームマイナス6%」などのリポートから

・桜の開花は、1980年代は、三月三十日前後だったが、地球温暖化の影響で、2000年以降は、三月二十二日前後と早くなった。だから、四月の入学式の頃は、既に花は散って、葉桜になっている。

・同じように秋の紅葉も、半月遅れ、秋刀魚の旬も遅くなって、秋の魚が冬の魚になりつつある。これから、さんまは「冬刀魚」と書くようになるのかもしれない?

・暖冬で、東京では、ここ50年間で、冬日(気温が0度以下)が9割も減少した。つまり、東京ではかつて、0度以下の日が1年に平均30日あったが、今では3日しかない。

2040年には、北極、南極の氷が解けてしまうのではないかという予測もあります。そういえば、最近、白熊が絶滅危惧種に登録されたそうです。氷が少なくなって、途中で休憩する所がなくなり、溺れてしまうという、嘘のような話です。

「昆虫力」

また、ラジオの聞き書きです。

「昆虫力」(小学館)などの著書がある赤池学さん(1958年、東京都大田区生まれ)のお話です。

昆虫といえば、どうしても軽くみられがちですが、人間なんかより、遥かに大先輩で、意外と知られていない高度の「技術」を持っているのです。人類の歴史が、500万年、せめて1000万年まで遡ることができるとしても、昆虫は、何と3億年の歴史があるのです。しかも、何度かの大氷河期など気象の天変地異を経験してきて、そのまま生き残ってきた種もあるそうです。地球の全生物の実に75%が昆虫で占められているそうです。その数は200万種。まだまだ未解明な部分が多く、1000万種はあるとも言われています。

昆虫の研究がまだ発展途上なのは、昆虫の多くは、アジアに多く棲んでいるためです。欧米では、その種類が意外と少ないのです。日本では、「ファーブル昆虫記」は有名で、知らない日本人はいないほどですが、本国フランスでは、ほとんど知られていないそうです。ヨーロッパ人は、日本人ほど虫とともに生きてこなかったということでしょう。日本人なら、夏に昆虫採集したり、秋には、キリギリスやコオロギの声を聞いたりして、昆虫と身近に生きてきました。

最近の研究では、昆虫の驚くべき「力」が発見されつつあります。例えば、あの蛆虫は、大変不衛生の所にいても、病気に罹らない。なぜだろう、と調べてみると、自ら「抗菌性のたんぱく質」を生み出していることがわかりました。この抗菌性たんぱく質を何かに利用できないか、現在、研究中です。

また、蚕には、休眠細胞があり、この細胞をガン細胞に移植したら、がん細胞の繁殖を抑えられるのではないかという研究も、岩手大学で進んでいるそうです。これまで、やたらと、抗生物質を投入して、健康な細胞まで、「破壊」していたのですが、この研究が成功すれば、ノーベル賞ものではないでしょうか。

 

ギャグ大募集!

ヴェニスで見た「銅像」。本人たちは至って真面目…

 

我ながら、今までこのブログに書いてきた事は、随分、真面目すぎたんじゃないかなあ、と思っています。英国紳士に見られるような「ユーモア精神」は、どうも日本人は苦手なのかもしれません。

 

とはいっても、日本でも昔から、それに近いものはあったのです。地口、駄洒落、都々逸、回文(「竹薮焼けた」など)…。私も短詩系では、短歌や俳句よりも川柳の方が好きです。あの結社というのもいかがなものですかね。宗匠さんが鎮座して、お弟子さんが畏まっている…。笑ってしまいます。

 

そこで、皆さんにこのブログを自由な投稿の場として、ギャグを募集したいと思います。地口、都々逸、駄洒落等、体裁は何でも結構です。親父ギャグ、熟女ギャク、少年ギャグ、少女ギャグ、隠居ギャグ…何でも結構です。コメントに書いてくださいね。

 

ヒントとして、いくつか例を挙げます。まず、古典のギャグから…

 

「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんな私が悪いのよー」

 

英語で言えば、Oh !  Mnma mia ! とか Holly cow ! (何てこったあ!)に近い、ナンセンスな言葉です…

 

「とんでもハップン、 歩いて5分」

 

こういうのは、耳で聞くものなので、文章にして説明しては白けてしまいますので、解説しません。

 

「ありがとう、なら、芋虫二十歳(はたち)」

 

うーむ、ちょっと難しかったかな?

 

これが最後、ちょっと高級(?)です。

 

「なすがまま、なら、キュウリはパパ」

 

コメントお願いしますね。皆さんの「ユーモア度」が試されていますよ。

 

ちなみに、いまだコメントの仕方が分からない方にお教えします。右下にある 「コメント(0)」の数字の部分をクリックすると、左上に小さな別の画面が出てきてきます。ここに、名前、タイトルとコメントを書いて、最後に「投稿」をクリックすると、完成です。どうぞ、よろしくお願いします。

 

 

品性を完成する

フィレンツェ

西行(1118-1190)が、23歳で出家したときに詠んだ歌

「惜しむとて 惜しまれぬべき 此世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ」

『山家集』を読みたくなりました。

フィレンツェ

内村鑑三(1861-1930)

「人もし全世界を得るとも その霊魂を失わば 何の益あらんや。人生の目的は金銭を得るに非ず。品性を感性するにあり」