京都・細見美術館蔵「金銅春日神鹿御正体」(重文)

新京 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
 
 一昨日、プロサッカーのJ1は、鹿島アントラーズが浦和レッズを破って、逆転優勝しました。

 私は、浦和を応援していたので、大層残念で、しかも、何で、年間リーグ1位(浦和)が3位(鹿島)とトーナメントをやって年間優勝者を決めるのか分かりませんが、まあ、鹿島にはおめでとうございます。と言いたいですね。何しろ、プロなんですから。

 で、鹿島と言うと、何と言っても鹿島神宮です。私は、一度だけお詣りしたことがありますが、まさしく、名前に出てくる通り、鹿と関係があったのです。

 鹿は、神使いである、と日本では古代から信じられております。

 
 鹿島神宮の御祭神は、記紀にも登場する「武甕槌大神」(たけみかづちのおおかみ)ですが、この大神は、神代に、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神(ふつぬしのおおかみ)と共に出雲の国に降り、大国主命(おおくにぬしのみこと)に国譲りをさせた神としてよく知られています。

 これは、私の解釈では、大和の天皇族が、最も強敵で、しかも大和より古い出雲の豪族を、常陸の鹿島の豪族と同盟関係を結んで、屈服させたのではないかと想像しております。

 不思議なことに、出雲大社と鹿島大社の位置は、同じ緯度であります。

 この常陸鹿島から春日明神が鹿に乗って大和にあらわれた姿が、南北朝時代の彫刻「金銅春日神鹿御正体」(重文)です。

 「金銅春日神鹿御正体」(重文)
  
 何と、この重要文化財を所蔵している美術館が、それまで私は全く知らなかったのですが、京都は岡崎にある細見美術館なのです。
 
 細見美術館は、1998年にできた比較的新しい美術館なので、あの京都にお住まいの京洛先生もご存知かどうか…(笑)。

 美術館のホームページの紹介欄には、「実業家・日本美術コレクター、細見古香庵(1901~79年)に始まる細見家三代の蒐集品を基礎として、1998年に開館。コレクションは、神道・仏教美術から茶の湯の美術、琳派・伊藤若冲といった江戸絵画など、日本美術のほとんどすべての分野・時代を網羅するものです」と誇らしげに書いてあります。

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 この細見古香庵という人も初めて聞く方なので、調べてみますと、本名が細見良で、彼は明治34年(1901)、兵庫県の日本海側の浜坂町に生まれ、尋常小学校卒業時に父が事業に失敗します。13歳の時、単身大阪へ出て、毛織物業界に見習として入ります。業績を伸ばして、抜群の商才を発揮して23歳にして泉大津市に「細見良商店」を独立開業します。主に毛布を松坂屋など百貨店に販売したそうで、昭和5年(1930)には毛織物製造に着手し、「スミレ毛織物社」を創立して社長に就任します。翌年には販路拡大のため商社「細見商事」を設立。30歳にして、天龍寺の関精拙老大師から「古香庵」の名を賜り、このころから美術品の収集を始めたと言われます。

 その初代古香庵は昭和54年(1979年)に78歳で死去。コレクションは二代目實、三代目の良行(現美術館長)に引き継がれ、仏教美術、神道美術、大和絵、琳派などの絵画、茶道具、漆器など所蔵品は、重要文化財約30点を含み、3000点以上あるといわれます。

 まあ、何と言いますか、この鹿島の神使いの鹿様をはじめ、いつか、一度拝見させて頂きたいものです。

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