「海よりもまだ深く」は★★★★ 第25刷

是枝裕和監督作品「海よりもまだ深く」を幼馴染の角崎君と千葉県で観てきました。

なぜ、千葉県なのか?それは、東京の映画館(ここでは、丸の内ピカデリーと呼ぶことにします)の上映の開始時間が朝の9時か、もしくは夜の8時という人を馬鹿にしている時間帯だったからです。

なぜ、幼馴染と観たのか?それは、映画の舞台が東京都下の団地だったからです。しかも、私も角崎君もよく知っている清瀬の旭が丘団地が舞台だったからです。聞くところによりますと、是枝監督が幼少期から28歳まで、過ごしたのが、この旭が丘団地だったというのです。今、他にも阪本順治監督の「団地」も公開され、今や団地がちょっとしたブームです。

小さい頃、私たちは清瀬の隣の久留米町の団地の公務員住宅に住んでいました。角崎君のお父さんは式部省に勤務していました。ウチの父親は、中務省に勤めていました。清瀬の旭が丘団地には、小学校の校歌も作曲した音楽の荻野先生が新婚で住んでいたことがあり、一度遊びに行ったことがあります。久留米団地から旭が丘団地まで、自転車で40分くらいかかりました。

途中には、前のブログで書いたことがある「外人プール」がありました。今はなくなってしまいましたが、米軍の通信施設は、治外法権の立ち入り禁止地区として今でも接取されています。お暇な方は、見学に行ってみて下さい(笑)。

旭が丘団地といいますと、1992年2月14日の未明に、この団地内の旭が丘派出所で大越晴美巡査長(当時42)が殺害され、未解決のまま2007年に時効を迎えた事件があります。

美女の曲芸 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

私は、随分大昔の久留米団地に住んでおりましたが、よく清瀬には自転車で遊びに行ったものです。一番のお目当ては、映画です。ということは、昔から映画好きだったんですね。

今はもうなくなってしまったと思いますが、清瀬には西武池袋線の駅の踏切近くに映画館がありました。正式名称は知りませんでしたが、みんな「清瀬映画」と呼んでいました。そこでは、よく高倉健さんの「網走番外地」シリーズをよく見たものです。ほとんど邦画の2本立てでした。「夜のイソギンチャク」や「でんきくらげ」などの渥美マリさんのシリーズもよく観たものです。恐らく、もう誰も知りませんね(笑)。

永井豪の「ハレンチ学園」もこの映画館で観たと思います(笑)。昔、久留米駅東口に、もう今はないと思いますし、もう東口もリニューアルされて位置も変わったので、あったとしても寂れてしまったと思われる神保文具店がありました。まだ木造の店舗で、その近くの板塀に清瀬映画の公開映画写真宣伝の看板があり、悪ガキとしては、通りがかりにその看板を見ないふりをして、見るのが楽しみでした。

今では考えられませんが、公共の場で、しかも駅前の人通りが一番多い場所で、かなり露出の高い映画作品の看板(「夕子の白い◯」という映画でした)が白昼堂々と展示されておりましたから、かなり牧歌的な時代でしたねえ(笑)。

美女の曲芸 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

あれ?何の話でしたっけ?映画「海よりもまだ深く」でしたね。是枝監督の原案、脚本でしたから、本人の想い出をかなりフラッシュバックさせた自伝的要素が濃厚な作品だと思われます。俳優陣は、みーんな、いい味を出しています。何しろ、あの樹木希林と小林聡美ですからねえ。恐ろしいほど、演技過剰、じゃなかった、国宝級の演技巧者にかかってしまえば、もうあまりにも自然過ぎてしまい、何か、台詞を読んで演じているドラマではなくて、ドキュメンタリーを見ている感じがしてしまいました。

主演の阿部寛と真木よう子は、はまり役過ぎました。かつて島尾敏雄賞を受賞した新進気鋭の作家も落ちぶれて、今では探偵稼業で食いつないでいる篠田役の阿部寛は、ギャンブル狂の駄目男。その元妻役の美人女優真木よう子は、サイボーグだの、○○だのと、とかくネット上の噂が絶えませんが、あらゆることを犠牲にして、芸能と演技に人生の全てを懸けている感じでした。

美女の曲芸 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

清瀬は、昔の、とはいっても、大正から昭和の小説を読むと「K村」というイニシャルで、結核療養所の舞台として描かれることが多いです。池澤夏樹のお父さん福永武彦もここで入院生活を送り、名作「草の花」を発表しています。また、東村山市ですが、この近くにハンセン病の国立療養所全生園もありました。こんな大規模な療養所がつくれたのも、戦前は、水と空気がきれいで緑も多く、都内の武蔵野鉄道(西武)線沿線ながら、まだ土地が安かったからでしょう。

また、清瀬といいますと、埼玉県の志木市を結ぶ志木街道のケヤキ通りが大変懐かしい。映画の中でも出てきたので、一人で感動してました。父の中務省時代の同僚がここで、確か、飲酒運転で交通事故を起こし、隣席に同乗していた若い女性と一緒に亡くなったことから、あの週刊新潮の記事になったことがあります。「こんな田舎の事件が週刊誌で取り上げられるとは!」。渓流斎多感時代の鮮烈な思い出です。

何で、この辺の地理に詳しいかと言いますと、渓流斎ご幼少の砌、この辺りをシマにしていたからです。シマとは、池袋から近い順に、ひばりが丘(ひばりヶ丘団地で有名。ファミレス「スカイラーク」の発祥地だったんですよ!私は、今はなきレコード店「ひばり堂」によく行ったもんです)、久留米(魅力的な商店あまりなし。アメリカンスクールと自由学園があります。一時、作家藤沢周平や漫画家手塚治虫も住んでいたとか)、清瀬(映画館通い)のことです。昔は北多摩郡と言われた東京都下です。県境の新座市(幼馴染みの角崎君が通っていた教会もあり、結構、宗教関係か軍属の米国人の家族が住んでいました)もフラフラしていたのでよく熟知しています。

以前、消滅した渓流斎ブログに書きましたが、「智慧伊豆」こと、島原の乱(1637~38年)を平定した総大将、老中松平伊豆守信綱(後の川越藩主)の墓がある平林寺は、新座市にあります。小学生のとき、毎年、歩行会と称して、久留米四小から野火止用水を通って、平林寺まで、十里ぐらいかなあ、よく歩きましたよ。また、平林寺では、友人の誕生会なども開かれました。お母さんも大変だったでしょうけど、今から思うと、進んだ生活を送っていたんですね。

そうそう、忘れるところでした。豊臣秀吉の五奉行の一人だった増田長盛の墓もあります。五奉行なのに、今、籾井さんとこでやってる大河ドラマ「真田丸」に全く登場しませんね(笑)。何で、五奉行の増田長盛の墓が、平林寺にあるのか?

若者よ、平林寺に行け!

何か、映画の話からズレてしまいましたね(笑)。

ちなみに、久留米は、市政化制定後、東京都北多摩郡久留米町から東久留米市となり、我々の心の故郷だった久留米団地は、老朽化で逸早く、この地球上から消滅しました。

ついでながら、母校である久留米第四小学校も廃校となりました。

残っているのは思い出だけとは、あまりにも、悲し過ぎる(涙)。

時の記念日 第5刷

馬橋神社

 今日は6月10日。時の記念日ですね。何で今日なのか?小学校のときに、教えてもらったはずなのですが、すっかり忘れていて、早朝、籾井さんとこのラジオを聴いていましたら、その由来を話してくれてました。

 天智天皇10年4月25日。この日は、グレゴリオ暦にすると、西暦671年6月10日に当たりますが、この日に御門(みかど)が初めて「漏剋」(ろうこく)と呼ばれる水時計を設置された日なんだそうです。ちょうど、かどうか分かりませんが、1345年前のことです。

 「時は金なり」「一刻千金」「股肘三年尻八年」などと諺にありますように、ヒトにとって、時間とは人生そのものですから、大切です。言うまでもありませんが。

 ところで、また自慢話ですが、私は過日、無理をして国産の高級腕時計を買ったことをこのブログでひけらかしたことがあります。嫌な性格です(笑)。

 夏になると、半袖になりますから、どうしても腕時計は目立ちます。特に、満員の通勤電車に乗ったりしますと、見たくもないのに視界に入ってきてしまいます。その時、若い人なら、容貌も姿形も崩れていないので、「ボロは着てても、心は錦」ですが、ある程度の年配になって、それなりの年格好になった人が、紛い物のような安物腕時計を着けたりするのを見ますと、その人の品格さえ疑われてしまいます。

 人は外見でしか判断しませんからね(笑)。見た目が120%、です。

 何も、スイス製など、これ見よがしの超高級腕時計をする必要はありません。それは、単なる成金趣味です。その人相応のモノで十分なのです。

 身だしなみは、自分のためというより他人のためです。身だしなみの極意は、英語で言うところの decentです。「きちんとした」「礼儀正しい」という意味ですが、本来は「見苦しくない」という意味です。身だしなみは、街の風景になるのですから。
 
 他人様に説教たれるなんぞ、100年早い!渓流斎の野郎も随分偉くなったもんです(笑)。
 

凄い会社の話 第125刷

桂林の夜いずれも劣らぬ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 通勤電車の中ではスマホでブログを書いているため、ほとんど読書の時間が取れず、昨日、やっと永栄潔(ながえ・きよし)著「ブンヤ暮らし 三十六年 回想の朝日新聞」(草思社)を読了しました。初版は2015年4月3日になってますから、とっくに話題になって、話題になり尽くして、もうそろ忘れてしまった頃かもしれませんが、私は、昨年はこの世におらず未読でした。でも、実に楽しく、と言ったら怒られるでしょうが、他人事(ひとごと)として面白く拝読させて頂きました。

 どういうわけか、この本の中に登場する何人かの人物とは直接謦咳に接したことがありますから、「ふふん、なるほどねえ」と感心して読みました。

 朝日新聞という一企業内のコップの中の嵐みたいな逸話が満載されておりますが、マスメディアということで、その社会的、そして歴史的影響力は、どのいかなる私企業の中でも甚大で、この会社抜きにはエリート大学入試やエリート企業の入社試験も受けられないか、とにかく森羅万象の世界を語れないか、それほど巨大ですから、社内で働いていらっしゃる方々の中には、ご自分が、世界を、政治を、経済を動かしていると勘違いされているように振る舞っておられる方もおられて、鼻白む思いをすること、再三でした(笑)。

 著者は経済部記者や「週刊朝日」副編などを務められた元新聞記者さんですが、どうも、文章が荒れていて、主語がなかったり、場所が後から書かれていたりして、私が石川啄木のような校正係だったら、ちょっと「てにをは」を直したいぐらいでしたが、それでも、全体の印象を損なうものはありませんでしたから、単なるケチを付けただけです(笑)。

 「ここまで書いてしまって、大丈夫なの?」と読者が恐れてしまうほど、実名や実際の事案がボンボン出てきます。本人は時効だと思っておられるかもしれませんが、書かれた本人の中にはまだ健在の方が沢山おりますからね。

桂林の夜いずれも劣らぬ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 最初に書きたいことは、著者が、朝日新聞を代表する、いや戦後の日本のジャーナリズムを代表する朝日新聞の主筆まで昇り務めた大変著名で、誰も知らない人はいない若宮啓文氏や船橋洋一氏を、一刀両断で、独善的で強権的でどうしようもない我儘で、我田引水的行為をするフザケタ野郎だった、と弾劾していることでした。

 いいんですかねえ?あそこまで書いて。まあ、私は、このお二人とは住む世界が違うのでお会いしたことはないのですが、署名記事を拝読した限りでは、大変、大所高所から視野の広い高邁な精神を発揮されて、日本の良心を代表されるような方々かと思っておりました。ただ、船橋氏など、写真を拝見すると、ほとんどふんぞり返っていて、俺様より偉い人間がこの世にいるのか!といったオーラを発しているような暴君的性格がチラチラ見えて、著者の永栄さんが書かれているように、本当に嫌な奴なんだろうなあ、と納得させられるものを持った人である、と確信してしまいましたよ。(あくまでも個人の印象です)

 本当は、彼とは別に接点もないし、相手にしたくないほど、どうでもいいんですけど(笑)、どんな会社組織でも、嫌な奴ほど偉くなって昇進するという「渓流斎の法則」は共通して当てはまるものなんですね(笑)。

美女の曲芸 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
 どうせ、忘れてしまうことでしょうから、備忘録として、面白かったことを乱列してみましょう。

■P178 著者が経済記者時代に、ソニーの盛田昭夫社長宅を「夜回り」した際、良子夫人から「ブンヤ?まあ、失礼な。宅は、お巡りとブンヤは(家の中に)入れません。それが家訓ですので」と言われたので、著者は間髪入れず、「ひょっとして、盛田夫人で…」と聞き返すと、「そうよ。誰だと思ったの?」と言われ、「お手伝いさんかと」と応えた場面。(その後どうなったのか、ご想像つきますよね?明治時代から昭和にかけて、ブンヤは、かっぱらいと犬殺しと同列扱いで、訪問すれば、「裏に回れ」と言われ、嫁の来てはないと言われたそうな)

■P136 著者が富山支局勤務時代、剣岳の遭難事故で救出された青年が、富山空港で救急車に乗せられて搬送される現場を取材。青年の生死を確かめようと救急車内に眼を凝らすと、そこには、涼しい顔で座っていたライバルの毎日新聞のK記者が消防服姿で、なりすましており、視線が合った。心臓が飛び出すほどびっくりした。(記者さんって、こんな変装までするとは、まるで漫画の世界。大いに笑った)

■P203 著者は、夜回りを禁止されていた天下の三菱商事の田部文一郎会長の茅ヶ崎の1000坪もありそうな自宅を、敢えて夜回りする。屈強な男が二匹のシェパードを連れて巡回していた。再三のアポの末、やっとのことで会長に会えて「それにしても会長のお宅は大豪邸ですね。巡回のシェパードは二匹ですか?」と開口一番伺うと、田部会長は「なにい、来たのか。よし、終わりだ。帰れ!出ていけ!すぐ出ていけ!」。(お二人ともお会いしたことはないが、このシーン、映画のように目に浮かぶようで面白い)

■P206 経済部の冨岡隆夫部長に、某商社の新任広報部長がお会いしたいというので、著者が取り次いだところ、冨岡部長は「お前なあ、朝日を舐めとんのと違うか?なんで朝日の経済部長が二流商社の部長に会わんといかんねん!そいつに言うたれ、朝日の経済部長は常務以上やないと会わんのやと」。(なるほど、天下の朝日新聞とはこういう会社か。ちなみに朝日新聞の発祥地は大阪でんやがな)

■P321 小中高の全歴史教科書38冊(当時)の記述を念入りに調べたところ、日露戦争に費やした戦費の対国家予算比は、3年~10年分など13通りあった。福沢諭吉の「学問ノススメ」の販売部数も約70万部から340万部までさまざま。教科書に登場する人物は全部で1358人だが、全ての教科書に登場するのはたった14人だけだった。(へ~、これは凄い話。末代に伝えねば)

 とにかく、「不肖」と「阿Q」を自称する著者の永栄さんは、この本を出版することで、36年間の鬱憤を一気に吐き出したようで、「意趣返し」に大成功したのではないでしょうか?

 こうして、人気ブロガーの渓流斎がフォローするぐらいですからね(爆笑)!

石亀の地団駄より 古代史は面白い

線路は続くよ何処までも

◼︎昨晩は、学生時代の旧友戸田君と、あたしのシマである銀座日比谷界隈で本当に久しぶりに会いました。もっとも、小生はまだ酒が飲めないので、ノンアルコール。二次会は、あんみつで、まるで女子会でした(笑)。

待ち合わせ場所は、「君の名は」の数寄屋橋の畔だったのですが、ちょうど向こうから歩いてくる戸田君とバッタリ遭遇して、声をかけてみました。すると、彼は、一瞬怯んだような慄いたような表情を浮かべて、踵を返して逃げようとしました。

「おいおい、俺だよ」。あたしは彼の首根っこを抑えて逃げないように捕まえました。そしたら、「なあんだ」とやっと安心した様子で、この世に戻ってきました。「いやあ、分からなかったよ」。それほど、人相が変わったんですかね。40年来の友人が識別できないほど、あたしも老けたんでしょうかね?

◼︎まあ、我々の年代ともなると、誰でも不可避的事案を幾何学級数的に体験しなければならないことが主な話題でした。彼の会社も、昨年から今年にかけてマスコミ、てゆーか、物言う株主たちによって、散々叩かれていたので、彼も相当苦労したようです。

◼︎彼とは、仕事のことでも私生活のことでも、何でも話せる数少ない友人の一人なのですが、それ以外でも、小生が、「古事記」や「日本書紀」などの古代史に最近興味をもっていることも知っていて、「じゃあ、『竹内文書』のことも知ってるよね?」と挑発(笑)するのです。

◼︎ついでながら、彼はあたしなんかと違って、知性と教養に満ち溢れた絵に描いたような容貌の持ち主です。何でもよく知っています。

◼︎「竹内文書」?あたしゃ、知りませんでしたね。初めて聞きました。教えてもらったところでは、これは、「たけうちぶんしょ」とも「たけのうちもんじょ」とも読むらしく、古代に五代の天皇に仕えた「古事記」にも「日本書紀」にも登場する武内宿禰の子孫と称する竹内巨麿(きよまろ)が、昭和初期に公開した先祖代々伝わってきた文書のことだそうです。

◼︎「古事記」などで、初代天皇とされる神武天皇より遥か昔に遡って、何十代にもわたって天皇家が続いていた極秘文書です。今は便利ですから、色々と調べると出てきますが、この文書は、竹内巨麿が開いた新興宗教(略して天津教)の経典にもなっているようです。

◼︎そして、昭和初期に、この天津教は、二度にわたって、内務省特高課により、「不敬罪」として弾圧されるのです。私は、明治末から昭和初期にかけての新興宗教弾圧事件として、出口王仁三郎の大本教はよく知っておりましたが、浅はかにもこの天津教については全く知りませんでした。

◼︎ただし、この文書には、モーゼもイエス・キリストも日本に来て、天皇に従っていたなどという説を取ったりしており、まるで「ジンギスカン=源義経」説のような眉に唾を塗りたくなるような壮大な話で、学者の中には、「偽書」と断定する人も少なくないようです。(そもそも、戦前の御札にもなった武内宿禰の実在性を否定する学者の方が今では多数派です)

◼︎とはいえ、チラッとこの竹内文書を拝見すると、相当「古事記」「日本書紀」を読み込んだことは確かで、並大抵ではない頭脳の持ち主が執筆(もしくは、創作)したことは確かです。古代史は面白い。何か、ますますのめり込みそうです(笑)。

ごまめの歯ぎしり 第6刷

竹林の賢人

◼︎想定内とはいえ、M県令の見苦しい弁解。漫画「クレヨンしんちゃん」を子供に買ってあげたのも、ネットオークションで、先行き値上がりが期待される美術品を買い漁っても、政党助成金を流用して家族旅行に行っても、「不適切とはいえ、違法ではない」(第三者委員会)とは!

◼︎弁護士の肩をもてば、所詮、法律がなかったということ。政治資金規正法が、ザル法だということを教えてくれたに過ぎない。

◼︎では、違法ではなければ、何をしても許されるのか?

◼︎M県令の所業は、餓鬼畜生(仏教用語)にも劣る卑劣な悪行であることは、明々白々。それなのに、あくまでも金と権力にしがみつこうとするMの狼狽えようは実に見苦しい。恥も外聞もないものか?

◼︎世界一のナポリタンではなく、メトロポリタンの予算は、中進国の国家予算に匹敵するとか。ファーストクラスの航空機に乗り、一泊50万円の高級ホテルのスィートルームに泊まり、自分様が王侯貴族になったつもり?

◼︎単なる裸の王様でしょう。知らぬは、本人なりけり。生まれと育ちから、ああいう人相の悪い我利我利亡者が出現するのかしら?親は、川筋で拾ってきた野菜を売っていたとか。極貧と辛酸を舐めて屈辱の中で、世の中を見返してやろうと誓った青雲の志が裏目に出て、小賢しさだけが表に出てしまったのだろうか?

◼︎しかしながら、何と言っても、弾劾もリコールもしない議会と県民の無能さには腹が立つばかり。道路整備予算が年間3兆円。県だけで、3000億円。利権に群がる議員は、我が身かわいさに、余計な波風は立てたくないということ?

◼︎こんなこと、何を叫んでも、所詮は、ごまめの歯ぎしり、に過ぎないかぁ。

「殿、利息でござる!」は★★★★ 第4刷

調神社

忙しい生活の中、時間を割いて、わざわざ映画を見てきましたよ。

それにしても、最近、殆んど、いや、全く、遊んでいませんね。

特に、夜遊びとやらは、ピタリとやめて、9時か10時には寝てしまう極めて健康的な生活です(笑)。

落語家の名跡三遊亭とは、どういう意味か、御存知ですか?三大遊びのことです。子供じゃなければ、御想像はつくと思いますが(笑)、それだけ、名人と言われた落語家は、「藝の肥やし」とか何とか嘯いてよく遊んだものです。

私には遊びが足りない。
私には遊びが足りない。
私には遊びが足りない。

まあ、これ以上書きますと、「シャイニング」のジャック・ニコルソンになってしまうので、映画を観に行くことにしたわけです。

映画は、今話題沸騰の時代劇「殿、利息でござる!」(阿部サダヲ主演)です。京洛先生からは、「あんなのつまんないから、やめておけ」と忠告されていたのですが、観ても損はありませんでした。本当にあった話だというので泣かせます。この映画で、江戸時代の百姓の「肝煎り」「大肝煎り」という役職を知りました。

でも、費用対効果は、人によりけり、かもしれませんね。

「平成の司馬遼太郎」とか持ち上げられて
ここ最近、どこにでも出てくる歴史家の原作です。私も、彼が書いた某新聞の記事で、この原作の元資料は、彼の読者から持ち込まれて、彼が感激して書いたものらしいですね。

ですから、話そのものは、面白いです。

京洛先生が「観るのはやめておけ」と忠告されたのは、恐らく、このいつもシャシャリ出てくる原作者が鼻につくからなのではないでしょうか。

私も、映画を観ていて、原作者本人が出演する場面が予告もなく出てきたので、思わず、「あっ」と低い声でうなだれてしまいました。

長くなるので、この辺で(笑)。

「ブラタモリ」に感謝状 第4刷

「変面」の場 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 籾井会長のところの番組「ブラタモリ」が、国土交通省国土地理院から「功労者感謝状」をスタッフに贈られたそうな。

 渓流斎も毎週のように(毎週と書けないのは、しばしば、つまらないスポーツ番組で潰されて見られないことがあるので)、珍しく拝見しております。小生のような歴史好きにはたまらないのですが、確かにこの番組を見ますと、河岸段丘や坂や埋立地など「地理」にも詳しくなり、面白いです。

 現代でこそ、昔の面影さえなくなった場所でも、城跡や道が古代、中世、近世と変わらず残ったりしていて、大変興味深いのです。確かに、「江戸切絵図」と現代の地図を見比べても、ほとんどの道路は変わっていないんですよね。湿地で川社会だった江戸も、明治以降、川はかなり埋め立てられ、水路だった屋上は、今の首都高速が走ったりしていて、本当に勉強になります。

 あの江戸名所の東海道五十三次の「日本橋」の真上に、無粋にも首都高が走ったのは、地権者のいない水路だったので、高速道路を簡単につくれたからだったんですね。

「変面」の場 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 あと、面白かったのは、京都の「嵐山」特集で、ここを切り拓いたのは、渡来人で倭朝廷の重職も務めた新羅系の秦(はた)氏だったことです。嵐山に秦氏の古墳といいますか、地下墳墓がありまして、普段は立ち入り禁止区域ですが、番組のため特別許可で撮影されていました。こういう風に、秦氏の墳墓を実際見てみるだけで、古代は、平安京が遷都するまで、京都は秦氏の土地で葛野(かどの)と呼ばれていたことが証明されたようで、感激してしまいました。

 今の太秦(うずまさ)寺を創建した秦河勝(はたのかわかつ)が、聖徳太子と深い関係にあったことは、以前にも、この渓流斎ブログで書きました。

華やかなフィナーレ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 国土地理院からの感謝状は、番組スタッフに贈られたようですが、時折、番組の中で写るスタッフを見ると、5,6人じゃすみませんね。カメラマン、音声、ディレクター、AD数人、チーフプロデューサー、AP、編集スタッフらを入れると、50人ぐらいになるんじゃないでしょうか。

 ドキュメンタリータッチで撮っているので、台本もないようにみえますが、実際は、少しはあるに違いなく、タモリの地理や石岩や地層など智識が半端じゃないくらい詳しいのですが、かなり、事前に勉強しているに違いありません。陰の努力を全く見せず、苦労や挫折を全く表に出さないところが、タレントとしてのタモリの凄いところでしょう。

 昨晩は、「伊勢」特集で、私は、何で伊勢神宮が20年置きに「式年遷宮」を行うのか、勉強不足で知らなかったのですが、初めて分かりましたよ。また、江戸時代に何であれほど「お伊勢参り」が盛んになったのかも分かりました。その陰に、宿場も運営し、全国にお伊勢さんの御札を売り歩いて、参拝を勧誘して回った御師(おんし)という存在が欠かせなかったんですね。江戸時代には600軒以上あった御師も、今は、伊勢の山田にたった一軒だけ残っていました。

 もっと詳しく書くと長くなってしまうので、この辺で(笑)。

詐欺商法 やるじゃねえか、docomo! 第5刷

水は貴重品です。 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 早速ですが、久しぶりに、最近のアクセスの詳細です。

◆過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

日付      閲覧数  訪問者数   ランキング

2016.06.03(金) 231PV   109IP   13871 位 / 2517940ブログ
2016.06.02(木) 381PV   152IP   7459 位 / 2516924ブログ
2016.06.01(水) 297PV   142IP   8868 位 / 2515915ブログ
2016.05.31(火) 326PV   131IP   8813 位 / 2514953ブログ
2016.05.30(月) 277PV   132IP   11630 位 / 2514000ブログ
2016.05.29(日) 257PV   122IP   11435 位 / 2512857ブログ
2016.05.28(土) 253PV   125IP   9210 位 / 2512033ブログ

 昔は800位台もありましたから、もうほとんど社会的影響力なんて1ミリもありませんね(笑)。それでも、ま少し、真っ当なことを書いてみようかと思いまする。

 もう6月です。時の経つものは早いものです。2016年もあと半分となってしまいました。

 以前、この渓流斎ブログに書きましたが、恐らく、皆様はお忘れになったと思われますので、もう一度書きます。渓流斎がスマートフォンをiPhoneに換えたのは、昨年2015年12月31日のことです。ドコモ・ショップの某店員に騙されて、音声用のガラケーと、データ通信(インターネット)用のスマホ「エクスペリア」の2台を持たされていたのですが、それが大変面倒くさかったからです。

 ドコモ・ショップの店員に騙された、というのは、「2台にすればお安くなる」と言われたからです。しかし、実際はほとんど同じか、むしろ高めでした。何と言っても不便でした。

 そこで、「最後のチャンス」と思い、昨年の大晦日に、「一括ゼロ円」が総務相の高市さんの方針で無くなるという記事を読んだものですから、街角のショップで、「一括ゼロ円」で、iPhoneを購入したわけです。

 音声用のガラケーは、昨夏に2年間の縛りが過ぎてしまい、ある事情でどうしようもないまま、「自動更新」されてしまいました。ですから、iPhone購入に当たって、この「違約金」を払わざるを得ませんでした。(ナンバー・ポータビリティでauにしたため)

 しかし、データ通信用のスマホは、3月いっぱいで2年間の縛りがなくなり、4月に解約すれば、「違約金」は発生しない、ということでしたので、使いはしませんでしたが、それまで、保存しておきました。

 そして、ようやく、4月2日に解約しました。最初の土曜日だったからです。これで、やれやれです。やっと、ドコモとの腐れ縁が切れたと思い、大喜びでした。

 そしたら、何と、「4月分」として、使ってもいないデータ通信契約料4074円をドコモの野郎が6月になって、請求してくるのです!

影絵も登場 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 こういう場合は、電話ではラチがあきません。仕方がないので、遠いドコモ・ショップに出かけて、文句を言いに行きました。(実際は、「どうなっているのか?」と問い合わせただけですが=笑)

 長い、長い時間、待たされた挙句、出た回答は、こうです。

 1、4月2日に解約しても、4月分として、1カ月の料金が発生する。
 2、しかも、その解約した次の月の分も、つまり「5月分」として料金が発生する。しかし、日割り計算で。

 えっ?驚愕的です。何で、解約した翌月分まで、お金を払わなければならないのでしょうか?
 もしかして、契約書かなんかに、とっても、とっても小さい字で、誰も読まないような細かい字でこっそりと、そう書いていたのかもしれません。

 それにしても、あくどい、阿漕な詐欺のような商売です!

そしてお待ちかね「変面」の場 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 もう一度書きますが、「4月分」は4074円でした。そして、日割り計算する「5月分」と称するものは、その前月はたった2日間しか契約していないのに(つまり、4月2日に解約したのですから)、何と殆んど変わらない4072円も請求されるというのです!

 こんな詐欺商売はないでしょう。何ですか、これは!!!!

 電話は公共料金です。水道も電気もガスも、そして、新聞代でさえ、日割り計算するならもっと安くなるはずです!

 ドコモは、ぼろ儲け。コマーシャルを真似すれば、「やるじゃねえか、docomo!」

 全く、ひでえ企業ですね、NTTドコモという会社は!一応、公共事業として、国家から認可を受ける免許事業者じゃないんですか?監督官庁の総務相の高市さんは、一体何をしているのでしょうか?

 たかが、8000円程度なら、高市さんにとっては「はした金」でしょう。しかし、私は金額の多寡を言っているのではありません。こんなあくどい、阿漕な商売を白昼堂々とやらせて、何が許認可官庁だ、ということですよ。

 私は、ドコモの料金は、クレジットカードの引き落としを使っていたので、4月分の請求は、6月に来て、「とっくに解約したはずなのに、そして、半年もドコモを使っていないのに、何でまだ、ドコモから請求が来るのだろうか」という素朴な疑問で、ドコモ・ショップに行ったわけです。

 そしたら、実は、ドコモ・ショップの銀座店の店員は平身低頭で、「クレジットカードの場合は、時間差が生じてしまい、請求が今頃になってしまうのです」という説明ばかりしていました。

 私もその請求の時間差ばかりに気を取られてしまい、何で解約した翌月分まで、料金を払い、しかも、日割り計算と言いながら、まるまる1カ月分もふんだくるのか、後になって、家に帰って気がついたのです(苦笑)。

 恐らく、庶民のほとんどは泣き寝入りしているでしょうから、私が代わりにその憤怒を書きましょう。

 詐欺師ドコモは汚い!

日本とベトナム 第4刷

夕焼け

こんわんわ。茂木伸一です。いつもコメント有難う御座います。

・久し振りに本屋さんを覗いてみたら、初心者向けの「古事記」「日本書紀」の入門書が数点あり、嬉しくなってしまいました。そこには、複雑な人間関係や系図、年表、地図、有識故実など、中にはオールカラーで図解してくれるので、とても分かりやすいです。まあ、これだけでも、日本の古典の必読書「古事記」と「日本書紀」を読んだ気になれますよ(笑)。

・日本人が凄いところは、なんて書きますと、例の昨今勢い付いた一派と間違わられてしまうかもしれませんが(笑)、兎に角、感心したので続けます。
古代、倭が大陸の隋や唐や渤海、半島の三韓などと「貿易」をしていた頃、倭の輸出品は、金や銀や織物、土器などが多かったそうです。その一方で、輸入品で最も多かったのが、何だと思いますか?ー何と、書籍だったそうです。食料品より本の方が多かったとは!昔から、日本人は知的好奇心が旺盛だったんですね。

・日本とベトナム両国が国家プロジェクトととして「日越大学」を設立して、今年9月から大学院修士課程のコースが開講することは、殆ど日本人の間でも知られていないでしょう。庶民の大半は、テレビのドラマかバラエティーしか見てませんからね(笑)。

・その日越大学ですが、ベトナム国家大学ハワイ校の中に設立されましたが、日本語は必修科目。超エリート校として、官吏養成学校か、日系企業に就職する幹部養成学校の色彩が強いのです。

・ベトナム人は、日本人以上に学歴に拘ると言われます。ベトナムが欧米列強の植民地(インドシナはフランスでしたね)になる前、この国は、1000年間も中国の王朝に支配され続けました。ベトナムが越南と言われるのは、まさに、中国の国境の南の地域=要するに植民地、という蔑称です。

・日本人の殆どは知らないでしょうが、恐らく中国の圧政があまりにも苛烈だったのか、中国から独立してから、フランス語の影響を受けたとはいえ、ベトナムは漢字を捨てました。今、ハノイやホーチミンに行っても、漢字の看板はあまり見かけません。
韓国も漢字をやめました。今でも漢字を使っているのは、優等生の日本人ぐらいです(笑)。

・その優秀な(笑)古代日本人が大陸から取り入れなかったものの中に、大きく二つあります。一つは、半端じゃない難関中の難関である「科挙」試験。もう一つは、宦官制度です。

・ところが、ベトナムは、日本人が嫌った科挙試験制度を取り入れたんですね。ということで、今でも、歴史的に学位に拘るようです。ベトナムでは、博士のことを「進士」と言うそうです。

渓流斎の法則 その357回 第3刷

淡路島名物「鯛茶漬け定食」

・M都知事の年収は、2900万円。ボーナスを入れれば、4年間で、1億5000万円とか。

・都議会との取引に成功したMは、都知事を辞めないとか。リコールしかないでしょう。そもそも、都民の暮らしのことは考えず、自分の金しか目がない田舎もんですから。福岡の恥。

・斡旋収賄罪の疑惑で大臣を辞任したAさん。司法取引したのか、不起訴の判定。「これでは、検察不信になる」と有識者。いやいや、最初から庶民は信用してまへん。政治家と法曹人は最初からグルでしょう。

・大阪の80歳の高齢者が、オレオレ詐欺で8億5000万円も騙されて奪われたとか。過去最高額。全国的にも大阪人は、◯◯だから騙されないという定評を覆す?

・昨日、品川駅で、歩きスマホの若い女が、「どけ、どけ」と言わんばかりに、こちらに突進してきた。周囲は全く目に入らない様子。俺様の天下。

・マースィーの法則だった「歩きスマホはなくならない」「オレオレ詐欺はなくならない」は、今後、渓流斎の法則に移管。