異国文化の受容と変容の研究

ミラノ

来週あたりに発表される今年のノーベル文学賞は、日本のあの作家さんが毎年のように候補筆頭として挙げられておりますが、私は、現代日本を代表する作家なら、彼ではなくて、池澤夏樹さんを挙げます。

常軌を逸した熱狂的なファンが多いあの作家さんについて、批判的なことを書くと差し障りがあるので茲では書きません(笑)。

池澤夏樹さんは先日、新聞のコラムで、「権利という言葉は、rightの翻訳だが、rightの元々の意味は『正しい』ということ。正しいから要求できる。そこに『利』を使ったために、この概念はどこか物欲しげになってしまった。『権理』だったら、理は『ことわり』だから、もっと堂々と要求できたのに」と、随分面白いことを書いていました。

ところが、です。明治になって欧米の言葉を悪戦苦闘して盛んに翻訳した先人の一人である福沢諭吉は、ちゃんとrightを「権理」と翻訳するよう主張していたのですねえ!(池澤大先生は知らなかった?)

「権利」と主張したのは、西周(にし・あまね)です。「哲学」「科学」「抽象」なる翻訳語を生み出しのは、フリーメンソンの会員だったとも言われる西周の手柄ですが、「権利」だけは、「経済」などの言葉を作った福沢諭吉の方に「理」がありそうですね(うまい!)。

以上のこと(小生も補足しましたが)を教えてくれたのは、袖川裕美著「同時通訳はやめららない」(平凡社新書)です。

以前にも書きましたが、著者は渓流斎の大学の同級生で、この本を手に入れるのにネット通販の苦天を利用したため、散々な目に遭ったことを書きました(笑)。例の本です。

袖川さんはレディですから、女優の吉田羊さんのように生年月日を公表してませんので、私も堂々と同級生と公言できます(笑)。この本は、実に面白いので、いつかまた書きます。御本人については身近で知っていたので、文章を読んでも超真面目な彼女の息遣いまで聞こえてきて、可笑しくなります。

私も袖川先生(昨年から大学の教師になったようです)に負けないように、何十年も英語とフランス語を勉強し続けておりますが、いまだに分かりませんね。イタリア旅行に行った際、航空機内で字幕なしの米国映画を見ましたが、理解度は4割程度。半分以上聴き取れなかったわけです。情けない。

先日、ラジオのビジネス英語講座を聞いていたら、「日本とアメリカは、喪服は黒色が通常ですが、中国や韓国は白色が正式です」という話を聞いて、「知らなかったなあ」と感心してしまいました。私は、御葬式は世界中、黒色かと思ってました。政治が好きな皆さんは、日本と中国・韓国は、文化が違うことを前提にしなければなりませんね。

もう一つ、「ジャーナリストの死」のことを英語で何というか?これまた、吃驚です。えっ?そうなの?じぇーん、じぇーん知らなかったです。ヒントは、中学一年生で習う単語です。

賢明な読者諸兄姉の皆様は、ご存知だと思いますが、答えは次回。お楽しみにです(笑)。