「同時通訳はやめられない」

ミラノ・ドゥオモ

またまたコメント有難う御座います。

倉内様とはお名前だけからは、面識がないと思われますが、小生が痛飲したことがある友人のご友人ということで、何かの御縁でせう。これからも宜しくお願い申し上げます。

こうして、昔の、そして昔からの愛読者の皆さんが戻って来られるとは嬉しい限りです。渓流斎は、完全復活とまではいかなくても、ヨロヨロと社会復帰できました(笑)。

さて、倉内さんのコメントにも出てきました袖川裕美著「同時通訳はやめられない」を昨晩読了しました。新書ですから、一気に読めば2~3時間で読めてしまいますが、じっくり味わって読みました。

何度も書きましたが、著者の袖川さんとは渓流斎の大学時代の同級生で、昨年か、一昨年かに久し振りに同窓会で再会しました。通訳・翻訳家になったとは聞きましたが、同時通訳者として戦場のような職場でこれほど奮闘していたとは知りませんでした。

これでも、私も通訳の端っこの端っこの端くれですが(笑)、逐次通訳と同時通訳とは、月とスッポン、天と地というぐらい違います。

まず、帰国子女ほどのネイティヴなリスニングを瞬時にこなし、外国語以上に日本語力が必要とされる超難関の瞬間芸です。

まさに神業と言ってもいいでしょう。

しかし、袖川さんは、神業でも何でもなく、只管、事前準備と勉強に次ぐ勉強で、その修行僧のような特訓に終わりはなく、何十年のベテランだろうが、初心者だろうが変わらない。毎日冷や汗もので、自信を失ったり、取り戻したりの繰り返しです。なぞと告白しているのです。

読了して、同時通訳の仕事はジャーナリストと全く同じだなあと思いました。記者ではないので、書きませんが、言葉を発声するだけで、仕事の内容は変わらないわけです。

この本の中にも出てきましたが、テレビ局の同時通訳の下準備のため、彼女が寸暇を惜しんでエレベーターの中でも新聞を読んでいたところ、有名なテレビキャスターとエレベーター内で一緒になり、その人から「大変なんですね」と声を掛けられる場面かあります。

そうです。同時通訳は専門家でもないのに、専門家同士のやり取りを介在しなければならないので、政治でも経済でも美術でもスポーツでも芸能でも何でもやらなけれはなりません。(同じように、ジャーナリストも専門家ではなく、素人です)。英語の単語は分かっていても、置き換える日本語が分からなければ、通訳にならないわけです。

つまり、多くの人が誤解してますが、語学力とは、母国語力なのです。今では小学生から英語が必修になったらしいですが、国語=日本語ができなければ英語もできるわけがないのです。

だから、むしろ、小学生から「枕草紙」や「徒然草」を教えた方がいいのです。欧米人の中には、英語、独語、仏語、伊語、西語と数カ国語話せる人がいますが、同じ26文字のアルファベットを使うからできるのです。

日本語の場合、漢字、平仮名、カタカナ、ローマ字と覚えることが沢山あります。だから学習時間が必要なのです。漢字なんか、百歳になっても覚えられないでしょう(笑)。

「同時通訳はやめられない」では、著者の失敗談も出てきますが、先の太平洋戦争で、戦後、多くの台湾人らの通訳が戦犯として処刑されたことにも触れていました。

ただ、上官の命令で、通訳しただけなのに、です。しかし、捕虜になった連合国軍の兵士としては、顔が見える通訳から酷い目に遭ったと思い込んでしまうのですね。

通訳も命懸けの仕事だった時代があったわけです。