ださいたまだねえだぁ 新座は世が世なら…

埼玉県名発祥の地

読み人知らず様

珠玉歌ご投稿誠に有難う御座いました。

さて、昨日は、埼玉県新座市にある東京電力地下変電ケーブルから漏電して火災が発生し、都内の約53万戸が停電になるという事件がありました。

埼玉県新座市なんて、聞いたことがない都民の皆さんも多いと思います。しかし、ここが駄目になると、近隣の練馬区、豊島区どころか、中央官庁が密集する千代田区の霞が関までやられてしまうことが昨日証明されました。

田舎から出てきた俄か都民は、埼玉県を「ださいたま」なぞと馬鹿にしますが、都民の生活の生殺与奪権は、埼玉県が握っているのでした。

停電のおかげで、電車(特に西武線全線)が止まり、信号機も止まって、衝突事故も発生したらしいですね。

火災の原因は、未解明ですが、恐らくケーブルの老朽化ではないかと見られています。

ところで、火災があった埼玉県新座市野火止は、渓流斎が御幼少の砌、よく野原を駆け巡り、木に登り、雑木林の中に団地の廃品回収所から集めた部品で基地を造り、畑のサツマイモも1本拝借して、焚き火で食した思い出の土地だったのです。

また、消滅した幻のブログにも書きましたが、新座市には有名な平林寺があり、此処には、「知恵伊豆」と呼ばれた松平伊豆守信綱(1637年に島原の乱を平定)の墓所があります。この松平伊豆守は、先日訪れた埼玉県行田市の三万石忍城(おしじょう)の城主も務めていました。(後に六万石川越藩主、老中首座を歴任し、野火止用水などを開削)

もう一人、NHK大河ドラマ「真田丸」では不可解にも全く登場しませんでしたが、豊臣秀吉の五奉行の一人である増田長盛の墓もあります。

歴史のある街です。しかも、新座市はそれどころではない歴史があったのです。

先日訪れたさきたま古墳群の史料博物館に古代の地図が展示されていましたが、新座市は、奈良の律令時代に、埼玉郡や入間郡などとともに既に新座郡として存在していたのです!これには驚きましたね。明治に、埼玉や入間が立候補しなければ、今頃、新座県になった可能性がなきにしもあらずだったのです。

もともと、東京なんぞは入江の戸口、つまり江戸になる以前は、湿地帯で水浸しで、人間なんかとても住める所ではありませんでした。だから、古墳がないはずです。

古代は、東京なんかより埼玉の方が栄えていたわけです。