伊藤淳著「父・伊藤律 ある家族の『戦後』」

繁華街に人また人 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 何か、パソコンで苦戦しまして、2時間以上も時間を無駄にしてしまいました。せっかく、歌舞伎座にでも行こうかと思いましたが、時間がなくなりました。ったく。

 私自身、そうパソコン技術に詳しくないのが難点です。マウスの調子が悪くて、ポインターが少しも動きません。電池を入れ替えたりして、いろいろやっても動かなく、しばらく、ほおっておいたら直りました。どうなっているのやら?

 あと、昔、登録していた外資系航空会社からのメールがうるさいので、登録抹消しようかと思いましたら、PIN番号とやらを最初から設定し直さなくてはならず、その後も「登録情報」を変更するとなると、「ワンタイムパスワード」の入力が必要とかで、その有効期限がありまして、やっと向こうから送られてきた「ワンタイムパスワード」が使える時間が、あと10秒しかない!というこの客を大馬鹿にしたような離れ業を強いられたのです。

 普通はできるわけありませんが、3回目でやっと登録完了しました。これで、客を馬鹿にするうるさいメールはもう来ないでしょう。

 機械が相手なので、誰にも文句言えません。何が人工知能だ!?これから、ますます酷い世の中になっていくのではないでしょうか?

 食い物屋も沢山 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 7日16日に参加した出版シンポジウム(お茶の水・明治大学)で購入した伊藤淳著「父・伊藤律 ある家族の『戦後』」(講談社)をやっと読了しました。

 著者の伊藤淳氏には何度かお会いしたといいますか、お目にかかったことはありますが、とても口数が少ない方で、何となく、人見知りをされているような感じで、恐らく、再び、小生がお声を掛けても「あんた誰?」と言われてしまうのが関の山なので、シンポではご挨拶しませんでした。
 が、この本を読んで、彼の長年の70年の半生で「伊藤律の息子」として経験した重みやら、つらさやら、違和感やら、うんざり感やら、誇りやら、運命やらを正直に過不足なく表現されていたので、彼がどんな思いをしてきたのか、初めて分かったような気がしました。

 果物やもあります Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 もう既に歴史上の人物となった伊藤律について、知っているか、興味がある方は、もうかなり少数ではないかと思います。
 
 しかし、彼が亡くなる25年ぐらい前まではかなりの有名人でした。

 伊藤律とは何者か?

 最初は、著者が「はじめに」にも書いている通り、「ゾルゲと尾崎秀実らゾルゲ事件の関係者逮捕の端緒をつくった裏切者」(特高警察)、「生きているユダ」(尾崎秀樹)、「革命を売る男」(松本清張)、そして、「権力のスパイ」(日本共産党)というレッテルを貼られていました。

 それが、27年もの長い間、北京に幽閉され、文革時代は生命の危険にさらされた伊藤律が1981年に帰国すると、これらの偽りのレッテルが次々と剥がされて、彼の身の潔白は、徐々に証明されていきます。これは全て、公安当局や川合貞吉や、GHQや、そして何よりも、野坂参三らの陰謀と裏切りとその尻馬に乗った文豪松本清張や日本ペンクラブ会長まで務めた尾崎秀樹らの過誤だったことが明らかになっていきます。

 問題が複雑だったのは、伊藤淳氏とその母親で、伊藤律の妻だったキミ氏が党員だったせいかもしれません。本来の思想は、弱者に優しく、格差をなくし、皆で協力し合って平等な社会を築き上げていくということだったはずなのに、組織となるとどうしても格差ができ、平等ではなくなるというのが宿命なのかもしれません。

 私がこの本を読んで、「ハイライト」だと思ったのは、「伊藤律、北京生存」のニュースが家族のもとに伝わり、彼の帰国について、伊藤律の妻キミが「どうしたものか」考えあぐねた末に、最初に中国大使館に行って、手続きを進めたことでした。これが、決定的に伊藤家のその後の運命を左右します。著者とその母親は、中国大使館を訪れた後に、東京・代々木の日本共産党本部に行きます。そこで、野坂参三議長(当時、以下略)との面会を望んだところ、「会議中」を理由に断られます。

 そこで、用件を伝えて帰宅すると、その夜に、何と、野坂議長本人と戎谷春松(えびすだに・はるまつ)副委員長と秘書が、黒塗りの高級車に乗って、伊藤淳氏のアパートにすっ飛んできて、伊藤律の妻キミに「キミ同志はなぜ律と離婚しなかったのか」「なぜ党に事前の相談もなく、中国大使館と連絡を取ったのか。これは党に対する裏切り行為であり許されない」と詰問するのです。

 これは、後に、実は、裏切者は、伊藤律ではなく、野坂参三本人だったことが歴史的に証明されているので、漫画のようなシニカルな笑いが漏れる場面です。
野坂は、北京に売ったはずの伊藤律が27年間も幽閉されて、まさか、生きているとは思わなかったので、慌てて、証拠の握り潰しを図ったというわけなのです。野坂の驚愕が目に浮かぶようです。「死人に口なし」というわけにはいかなかったのです。

 野坂は、ソ連にいた同志の山本懸蔵らも密告して、スターリンの大粛清の犠牲にするなど、野坂こそが仲間を売る裏切者だったという公文書が次々と発見され、100歳の時に共産党名誉議長を解任、党も除名されます。

 まあ、こういう話はあまり、聞いていて気分がいいものではありませんよね。こんなことがあるから、日本国民の信用もイデオロギーに対する信頼も消滅してしまうのです。

 いくら主義主張や思想信条が高邁でも、組織こそが階級を産み、同時に組織内の階級闘争を産むため、出世や権力保持のために、平気で仲間を裏切ったり、売ったりする権力志向の人間が必ず現れるという証明でしょう。右翼も左翼も関係ありません。政治の世界だけでなく、会社組織でも同じです。

別に綺麗事を並べているわけではありません。これは、人間の性(さが)であり、組織や集団というものが持つ根本的な体質で、未来永劫なくならないということです。

これは、自分の人生体験で得た信念です。

私も、食うために仕方なく団体や会社組織に所属しましたが、そりゃあ多くの人間のイ汚い面を見てきたものですよ。

松岡將著「王道楽土・満洲国の『罪と罰』 帝国の凋落と崩壊のさなかに」

延吉はハングルだらけ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 最近、買い替えた「日本史小辞典」(山川出版)にも載っていませんでした。

 私も、いつ頃知って、いつ頃興味を持ったのか忘れてしまいましたが(笑)、戦前の官憲による「でっち挙げ事件」として、「小林多喜二惨殺事件」「横浜事件」などと並ぶ歴史に残る事件としてインプットされておりました。

 満鉄調査部(=シンクタンク)事件と合作社(=満洲の農協)事件のことです。

 正確に言いますと、「興農合作社事件」と「南満洲鉄道調査部事件」のことです。

 この全容をまとめた松岡將著「王道楽土・満洲国の『罪と罰』 帝国の凋落と崩壊のさなかに」(同時代社)を先ごろ、やっと、何とか読了しましたので、少し触れることに致します。

 その前に、満鉄調査部事件をネットで検索してみたら、この渓流斎ブログが引っかかってしまうんですね。内容は、この「王道楽土ー」の目次を紹介した記事でした。

 こちらは真剣になって調べたいのに、こういうのって、何か、白けるといいますか、背中が凍る気分ですねえ(笑)。

 いかに、「合作社・満鉄調査部事件」に関する情報が、ネット世界では極めて少ない、という証明みたいなもんですね。

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 正直に言いまして、著者の松岡氏に怒られてしまいますが、この本は、読んでいてあまり楽しい気分になれません。もちろん、エンターテインメント本ではないし、権力者が手段を選ばず、気に入らない人間を陥れていく過程は不快ですし、愛する日本が、真っ逆さまに凋落して、そして310万人も亡くなる太平洋戦争という哀しい不愉快な歴史的事実が列挙されていますから、楽しいわけありませんよね?

 それでも、曲りなりにも「法治国家」が建前ですから、何とかして、法に照らし合わせて、時の権力者は、気に入らない人間を法の網で捕まえて、起訴して裁判にかけて罰する手続きを踏もうとします。
 当時、満洲では、共産主義者ら「不逞の輩」を逮捕処罰するのには、「暫行懲治叛徒法」しかなかったため、慌てて、泥縄式に1941年12月27日に満洲国治安維持法を公布・施行します。この事件で適用されたのは、主に同治安維持法の「國體を変革する目的をもってその目的たる事項を宣伝した」という「宣伝罪」でした。(死刑または無期もしくは10年以上の徒刑)

 すべては「國體護持」のためです。國體を変革し、國憲を紊乱し、国家の存立を急殆、衰退させるような、気に食わない反体制派は消してしまえ、という東條英機の「鶴の一声」と手口で、まさに罪もない人間を陥れた「罪つくりな話」でした。

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 勧善懲悪ものの分かりやすいお話に仕立てて、登場人物を整理しますと―。

 権力者たち=「二キ三スケ」の一人、東條英機=満洲関東憲兵隊(東京の憲兵司令官=陸軍大臣の直轄)司令官、関東軍参謀長、陸相、首相等を歴任。そして、東條の股肱の臣、加藤泊治郎=東京憲兵隊長、朝鮮憲兵隊司令官、東京憲兵司令部本部長等歴任=と鈴木貞一=企画院総裁等。戦後A級戦犯=、四方諒二=東京憲兵隊長等=は、「東條の三奸」と呼ばれたそうな。

 興農合作社事件 (当局は、1941年10月28日に、新京憲兵隊から司令官に事件の全貌が報告されたことを記念して「1・28工作事件」と呼ぶ。「10・28工作事件」とは呼ばない。間違えたわけでなく、そう呼ぶ理由は、一つしかないだろう。「1・28事件」では、「10月28日事件」ではなく、「1月28日事件」になってしまうという、小学生でも思い付く考えが及ばなかった。それが、当時の日本の最高のベスト&ブライテストの知的レベルだったことになる) 1940年7月28日、満洲の首都新京(現長春)協和会中央本部実践部実践科主任平賀貞夫が検挙されたことが発端。主な検挙者は、平賀の友人で「秘密結社中核體」(実態は、なーんもなし)を結成した容疑の情野義秀、「満洲評論」の編集責任も務めた佐藤大四郎(一高中退)満洲濱江省綏化県農事合作社聯合会主事=獄死=(彼の甥は、フジサンケイ・グループ第3代議長の鹿内宏明氏=旧姓佐藤宏明)ら。1941年11月4日に50人以上が一斉検挙。前述した「宣伝罪」により、既決囚6人のうち3人が獄死。

 満鉄調査部事件 1941年12月30日、興農合作社事件の被疑者として、熱海で検挙された満洲国協和会調査部参事鈴木小兵衛(東京帝大新人会出身、尾崎秀実=満鉄高級嘱託等、ゾルゲ事件で処刑=、菅原達郎=協和会総務部長等=、松岡二十世=著者松岡將氏の実父、協和会中央本部調査部、満洲映画参事等=らと東京帝大時代の同期)による同志に対する裏切りで、関東憲兵隊が創作した事件(満鉄調査部は、在満共産主義運動の温床体、母体であると関東憲兵隊は断定)。42年9月21日、第一次検挙者28人。43年7月17日の第二次検挙者は、石堂清倫=戦後評論家=ら9人。その前後に渡って、興農合作社事件関係を含む計44人が検挙(19人が釈放、5人が未決死亡、20人が有罪判決)。5人の死亡者は、満鉄新京支社調査室の守随一(東京帝大新人会出身、発疹チフス)、満鉄調査部総務課の發智善次郎(発疹チフス)、満鉄調査部の大上末廣(石堂の親友で、京大助教授、発疹チフス)、満鉄北支経済調査所の佐藤晴生(栄養障害)、満鉄上海事務所調査室の西雅雄(栄養障害)。1945年5月1日の最終公判後、大日本帝國の敗戦による満洲国と國體の崩壊で有耶無耶に。

宣撫活動報告

いらはいいらはい

昨晩、お風呂で石鹸で顔を洗った際に、間違って、石鹸(の泡)が右眼に入ってしまい、痛いの、何のって!

一応、水洗いしましたけど、寝ても起きても、あれから12時間は経っていると思われるのに、まだ、微かに痛い。長い間生きてはいますが、こんなことは初めてで、皆さんも気を付けて下さい。

◇大本営発表

扨て、今、辻田真佐憲著「大本営発表」(幻冬舎新書)という本が売れているそうで、宣伝広告惹句によりますと、先の大戦中、大本営は847回発表し、敵連合国軍の戦艦43隻、空母84隻を撃沈したことになっていましたが、実際は、戦艦4隻、空母11隻しか撃沈していなかったそうですね。

これは、「過大評価」というより、「大嘘つき」です。この大嘘の発表で、責任を取ったという軍人は聞いたことはありません。よって、「大本営発表」といえば、「大嘘つき」という代名詞が歴史的に定着しました。

そもそも、大本営は政府機関です。体制権力者側です。しかも、國民の生死が懸かっているというのに、こんな大嘘の公式発表していいものなのでしょうか?

米軍はどうだったのでしょうか?

中国は、もともと「怒髪三千丈」の国だから、大袈裟にしか表現しない、という人もいますが、戦果被害については、正確に国民に伝えていたのでしょうか?

日本では、正確な真実を知っていた人間が5種類いたはずです。

まず軍人と軍人以外の外務省職員をはじめとした政府機関の人間。新聞記者。海外の短波放送などを傍受したりして情報を得ていた大学・研究機関、企業関係者。そして、内通者のいたほんの一部の庶民ーといったところでしょうか。

彼らに共通して言えることは、「公式発表」を信用していなかったということでしょう。

時代が変わって、これだけ情報過多の時代になりながら、信用できる情報はほんの僅かです。99.9%が「宣伝広告宣撫活動」情報と言って過言ではないでしょうか。

それなのに、99.9%の現代人は、公式発表を信用しているんですからね。

強迫、成りすまし、おためごかし、懐柔、折伏、勧誘、羨望、欲情、羞恥心、強制…とあらゆる手段を使って、モノを買え、買え、買えと脅迫し、脅迫されている本人さえ自覚がない有様です。

マスコミには、業界用語で「是非もの」というものがあります。いや、という話を聞いたことがあります(笑)。そのマスコミが主催、後援する展覧会、競技会、音楽公演、プロサッカー、野球などを「報道」という目眩しで、宣撫活動を行うということです。

例えば、一年間ペナントレースを戦っているのに、読売新聞は、勝っても負けても、優勝の芽が全くなくなっても、毎日、毎日、巨人、巨人ですからね。

「見ないと流行に遅れますよ」
「東京ドームに行かないと、恥をかきますよ」
「仲間外れにされますよ」

これが、脅迫、羞恥心の宣撫活動ではないと誰が言えますかね?
いる?
あ、関係者ならそうでしょうね(笑)。

騙されることが大好きな人間

亜沙久佐

Getting the heave-ho in that sort of peremptory fashion triggers our deepest fears of being abandoned. It can cause even the calmest, most level-headed people to start behaving obsessively.

最近、アメリカでは、ネットのSNSの世界で突然、交流を遮断することを「ゴースティング」と言うんだそうです。

お化けになる、という意味でしょう。

何があっても、もう返事をしない。二度としない。恐らく、相手のアドレスすら削除してしまうことでしょう。

実行者は、何らかの理由、それが、飽きたから、でも、疲れたからでも、軽い気持ちでも何でもいいんです。本人は、能動的である程度の理由が分かっているからいいのですが、何も知らない受け身のやられた方は堪りません。

「何か、悪いことでもしたのか?」「不愉快な思いをさせてしまったのか?」ー等々、強迫観念と妄想ばかりが広がります。

「ツイッターに100万人ものフォロワーができた」「フェイスブックで10万人もの友達ができて繋がった」などと、日々楽しんではいても、所詮、そんなもん、シャボン玉の泡のような儚い心もとないものなのです。

「繋がる」ことが安易で、上っ面なものだったとしたら「離れる」こともいとも簡単で、義理も人情も、まして罪悪感もないでしょうから、ゴースティングなんてお茶の子さいさいなんでしょう。

あ、そう言えば、何処かの誰かさんが「ブログのアクセスが少ないから、もうやめよう」なんて言ってましたが、この人も分かっていませんね。

ネットなど、所詮、泡沫だということが。

いい加減、目を覚まして、自分自身がネットに依存していることに気が付き、ネットなんぞ二の次にして、適当にあしらう時代になってきたということですよ。

だから私は、数年前にフェイスブックはやめました。あの世界から抜け出すのに、「いいのですか?」「本当に脱会していいのですか?」「本当にやめていいのですか?」という戦慄する程しつこい難所、関所を一体幾つ潜り抜けて脱会できたことか!そんじょそこらのダサい新興宗教より悪どいことが分かりました。

フェイスブックもツイッターも、ヤフーもグーグルも楽天もアマゾンも、個人情報を丸盗みして、宣伝広告をピンポイントで攻撃してくる阿漕な商売をしていることに誰も気がついていないことに、私は本当に唖然としてしまいます。

人間は、騙されることが大好きなんですね。

おめでとう!ポケモンご卒業!

賑やかし

人のふり見て我がふりなおせ

とは、よく言ったもので、過日、都内某所で駅近くの公園広場で異様な光景を目にしました。

もう薄暗い夜の7時過ぎです。

そう、大体30歳代以上の中年初老の男女が数十人、一心不乱になって手元のスマホに熱中していたのです。

スマホのライトが顔面に反射し、皆んな、お岩さんに見えました(笑)。

その公園広場は、ポケモンGOのピカチュウが現れるという「隠れキリシタン」の里(笑)として知る人ぞ知るスポットで、恐らく、口コミかネットで集まってきた輩でしょう。

子供は1人もいませんでした。全員、仕事が終わって帰宅に向かう途中で、道草を食っていたか、油を売っていたかのどちらかだったのかもしれません。

人のふり見て我がふりなおせ

とは、よく言ったものです。

その尋常ならざる度肝をぬかれるほど異様な光景を目の当たりにして、私も反省しましたよ。

気がつかなければ、自分もあの連中と同じことをやっていたのだ、と。

最近、若者の間で、原因不明の偏頭痛に悩まされる患者が増えているそうですね。

その原因の一つが、スマホのようです。

正確に言いますと、スマホの放つブルーレイが眼に非常に良くないらしいですね。これが原因で、偏頭痛から睡眠障害、はたまた眼精疲労から視力障害まで起こすそうです。

最近、どうも疲れやすくなって、集中力も根気力も減退したものだと、我ながら呆れておりましたが、小生もスマホのやり過ぎだったのかもしれません。

眼に毒となるブルーレイは、ブラウン管、液晶画面、パソコン、スマホの順に強烈になっていくそうです。

今の時代に、ブラウン管を使っている日本人は、少ないでしょうが、若者(何とアバウト!)の9割以上がスマホを使っているそうで、毎日、強烈なブルーレイを浴びて健康を害していたわけです。

そう言う渓流斎よ!

毎日、電車の中でスマホでブログを書いたりしていて大丈夫かえ?

人間疎外世界

スターピース

腕時計忘れた!

最近、どうも老化力がメキメキと出て来まして、駅や会社ではなるべく階段を利用するようにしているのですが、息が乱れてハアハアしてしまいます(笑)。

それに、「三十肩」か「四十肩」か知りませんが、右肩が痛くて、シャツを脱ぐのにも苦労する程です。

三年程前に、既に左肩で「五十肩」(何で?)を経験しているので、症状は把握していますし、もう整形外科医には行きません。その場凌ぎで、殆ど全く効き目がなかったからです。

末岡君から「俺もやったけど、放っておけば、一年ぐらいで治っちゃうよ」との話を聞いたものですから、それで病院に行くのをやめたら、左肩はやはり、一年近くで自然と治ってしまいました。

私が通っていた整形外科医は、若いインターン風のお兄さんを4、5人雇っていたので、「経営が大変だろうなあ」と薄々感じていました。何か、商売、商売といった感じで、日曜日まで営業していて、顔を出すと、正直な先生は「カモがネギを背負ってやって来た!」と、目を輝かせて大喜びするので、途中で行く気がしなくなってしまったのです。

ですから、今回は、整形外科に行きません。我慢します(笑)。

◇人間疎外の時代

人間、いつの時代に生まれれば幸せだったのですかね?

身分格差が歴然としていた江戸時代では、自分のやりたいことはできなかったかもしれません(それでも、やり遂げる人はいました)

明治、大正、昭和初期でも、公侯伯子男爵と薩長藩閥の厚い格差の壁と徴兵制がありましたから、自由主義者は生きにくかったでしょう。

では、現代が一番良いかと言えば、それ程でもないかもしれません。

昔のラジオやテレビの聴取率、視聴率の時代は、全くいい加減で、まさに牧歌的な時代だったかもしれません。

今では、ネット広告が中心となり、それを見ている性別年齢職業住所、家族関係、学歴まで分かり、最も効果があるピンポイント攻撃ができるようになりました。

例えが悪いですが、昔の視聴率に基づく広告が、成り行き任せの風船爆弾だとしたら、ネット広告は、誤差範囲数十センチのトマホークほどの違いがあります。昔は「当たれば儲けもの」でしたが、今は必要最低限の労力で「当たって当たり前」の時代となりました。

仕事も全てコンピューター化されて、出退社時間も、業務、営業成績も数値化されて丸見えです。これが、出世ポイントとなり、賃金格差は、年齢性別学歴に関係なく平等に数字だけで取り締まれます。

とはいえ、息苦しい監視社会です。あたしゃ、やっていけませんよ(笑)。ランボーのように、一刻も早いランティエ生活を望むばかりですねえ。

71回目の終戦記念日

麻久佐

今日は8月15日。終戦記念日です。

戦後、71年ともなりますと、戦争を知らない戦後生まれが8割という圧倒的多数を占め、今年は、特に終戦記念日なんかよりも、リオデジャネイロ・オリンピックや、SMAP解散の芸能ニュースの方が一部の人にとっては重要ではないでしょうか?

それでも、敢えて、今日は、終戦記念日を取り上げます。

1945年8月15日は、正確に言いますと、ポツダム宣言を受諾したことを昭和天皇が、国民に向かって、「玉音放送」で伝えた日です。(ポツダム宣言受諾は、その前日14日の午後11時に、中立国のスイスとスウェーデンを通じて、連合国に伝えられました。この14日から15日にかけてのクーデター未遂事件などを描いたのが、半藤一利著「日本のいちばん長い日」です)

戦後民主主義教育を受けた私の世代は、よく「8月15日は、終戦記念日じゃない。日本が負けた日なんだから、本当は敗戦記念日なんだよ」と教えられたものです。

私も長らく、そう信じておりました。

しかし、歴史的事実を冷静に見つめていくと、やはり、8月15日は、「終戦記念日」だということが分かります。つまり、大日本帝國陸海軍及び政府は、ポツダム宣言というの名の降伏勧告文書を受け入れて、戦闘行為は止めると宣言したことに過ぎないからです。

「過ぎない」という言い方は、語弊があるかもしれません。ただ、歴史的事実は、大日本帝國は、受諾を宣言しただけで、海外を見れば、満洲でも樺太や北方列島でも戦闘状態、というより一方的な殺戮、略奪、強姦、暴行が、国際条約を破棄して侵攻した決して許してはならないソ連軍によって行われていたわけですから。

それに、8月15日が過ぎても、特攻突撃に出陣した将軍もいました。

「ポツダム伍長」だった私の父親のような帝國陸軍の一兵卒も然り。8月15日で、「解散」とすぐ郷里に帰してくれたわけではなく、8月末まで、上官の炊事当番として、毎日食事を作っていたと聞いたことがあります。

では、「敗戦記念日」がいつか、となると、やはり、9月2日ということになるでしょう。1945年同月同日、東京湾に停泊する米艦ミズーリ号で、梅津美治郎参謀総長(63)と重光葵外相(58)の全権代表が、降伏文書に署名した日ということになります。

重光外相は、駐華公使だった1932年の第一次上海事変後の天長節祝賀記念式典(上海)で、弁当爆弾を投げつけられて負傷し、右脚を切断しておりました。ミズーリ号の甲板上で、この重光の歩く義足と杖の音が響き渡りました。

梅津、重光は、ともに大分県出身で、極東国際軍事裁判(東京裁判)ではA類戦犯となり、梅津は終身刑で服役中に病死、享年67。重光は禁錮7年、戦後恩赦で公職に復帰し、衆院議員に3回当選して、改進党総裁、日本民主党副総裁などを歴任しました。湯河原の別荘で急死、享年69。

今から思うと、降伏文書に署名した2人ともまだ若かったんですね。

世界の何処の国を見ても、自国の「敗戦記念日」を徹底させる国は、皆無に近いのではないでしょうか。

先の大戦では、日本人だけでも310万人もの人々が亡くなりました。(ソ連は2000万人、ドイツは700万人、中国は1300万人、米国は29万人)
だから、せめて「終戦記念日」だけでも、末代に伝えて式典を行い続ける意義はあると思います。

「地盤サポートマップ」は使えます

黒竜江  Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

夏休みとなると、結局、ボケーとテレビの前の特等席でリオ五輪観戦にしけこんでしまいますね。

その点、「ポケモンGO」は、外に出て、ポケットモンスターの狩りに行かなければならず、世間では非難囂々の中、運動不足解消に少しはなるのではないかという点だけで、ある程度、この悪魔の小道具は貢献しているのかもしれません。

そういう私も、この渓流斎ブログのネタづくりのためだけに、それが動機で始めたのですが、ほんの少し嵌ってしまい、今のレベルは「16」まで行きましたよ!(笑)。

まだ、ファイトはしたことがないので、今捕獲しているモンスターの何かのCPが1600ぐらいになったらやってみようかと思っています。

と、ここまで読まれた方で、ポケモンGOのことを知らなければ、何が書いているのかさっぱり分からないのではないでしょうか?(笑)

ま、私もこのまま続けて行けば、第一に「目の毒」ですし、「時間の無駄」だと断言できますので、レベルが「25」ぐらいまでいけば、自慢できるでしょうから、卒業しようかなあと思っています。

でも、稀にしか捕獲できない可愛い「ピカチュウ」や「フシギダネ」等を捕獲すると、結構はまっちゃうもんですよ(笑)。

 さらば黒竜江 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

さて、今日は、皆さんに貴重な情報をお伝えしましょう。

「地盤サポートマップ」です。

https://supportmap.jp/#13/35.6939/139.7918 ?サイトアドレス

ま、検索して試してみてください。まず、気になる住所を入れて検索してみてください。その地盤が「いざ」という時にどうなるのか、参考情報が出てきます。

私も、今住んでいる自宅住所を検索してみました。

標高は、意外と低く、わずか12・9メートル。
地質は、川沿いの低地に分布している約7万年前~1万8000年前に形成された段丘層
液状化の可能性は、非常に低い
土砂災害の可能性は、なし
地震の揺れは、やや揺れやすい

と、ありました。
 延辺朝鮮族自治州延吉はハングルだらけ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

ちなみに、12日に四国電力が再稼働させた伊方原発の住所は、「愛媛県西宇和郡伊方町九町3-40-3」ですから、その住所を検索すると―。

標高は、5.4メートル
地質は、約1万8000年前~現在までに形成された最も新しい時代の地層
液状化の可能性は、やや高い
地震の揺れは、中規模

とありました。

皆さんも気になるようでしたら、ご自宅の住所を検索してみては如何ですか?

他にも色んな情報が出てきますよ。

人間疎外、いや侮辱、いや差別でなえかえ?

 これぞまさしく黒竜江 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
 平賀貞夫です。

 恐らく、今、皆さんはリオデジャネイロ・オリンピックでテレビの前に齧りつきだと思われます。

 思いも寄らぬ予想以上の日本人の活躍に感涙興奮していることでしょう。

 五輪でメダルを取るぐらいですから、やはり、どんな人にも「物語」があり、共通して言えることは、怪我や精神的葛藤を克服した前後に、超人的な努力があったということしょう。

 まあ、世界一、努力した人間ということで、表彰台のてっぺんに上がる人が我等が同邦日本人だったりすると、感激も一入です。

 例えば、競泳女子200メートル平泳ぎで優勝した金藤(かねとう)理絵選手(27)なんて、一日、2万メートルも泳がされたそうですね、それも、毎日。五輪候補選手でもとてもそこまでできないのでは?

 柔道男子90キロ級金メダルのベイカー茉秋(マシュー)選手(東海大)は、米国人の父親は米国に帰国してしまい、日本人の母親が一人で育ててくれたそうですね。

 オリンピックとなると、「スポーツに政治を持ち込むな」とか「参加するのに意義あり」などと、建前ばっかしが掲げられていますが、本音といいますが、現実の実態は、何と言っても、国別対抗のメダル獲得争いであり、そのためにはロシアのように、国家ぐるみで薬物使用を勧めて目的のために手段を選ばなかったり、国際オリンピック委員会(IOC)委員と呼ばれるスポーツ貴族だけが大儲けして、桁違いな贅沢な暮らしぶりができることが、あまり報道されてないことが残念です。

 川上を見やれば Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 さて、言葉や名称がないと、何か手探りの暗中模索状態といいますか、雲をつかむような話で、なかなか他人を説得できないことが往々にしてあるものです。

 例えば、変態による追い回しや尾行について、適切な言葉なく、犯罪ばかり多発した頃に、「ストーカー」などというレッテルができて、やっと世間に認知されるようになったことがありましたね。

 私が今回取り上げたいことは、電話を掛けると、人間ではなく、コンピューターが出てきて、「はいの場合は1、いいえの場合は2、もう一度アナウンスを聞きたい場合は3を押してください」と応答するケースです。

 電話をかける相手は、ぼろ儲けしている通信会社で、問い合わせたり、解約したりする場合とか、旅行代理店とか、商品説明を求めるためのメーカーとか、駅やバスなど公共交通機関への問い合わせなどです。皆さんも大いに経験があることでしょう。

 そういう時に限って、急いでいるので本当にイライラしてきますよね?

 そして、川下のハバロフスクまで500余キロ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 これら、電話でコンピューターが応答するシステムをIVR(interactive voice response system)と言うそうですね。日本語で、「自動音声応答システム」。英語が原語なので、米国人が開発したのかもしれません。

 私は、最近初めて知りました。

 このIVRとやら、確かに、人間を疎外するマシーンですね。

 お年寄りなら、マゴマゴしてしまい、分からなくなって、途中で諦めてしまうかもしれません。

 そりゃあ、生身の人間を使うより、IVRを使った方が、便利で安上がりでしょう。だけど、使う方にとって、これほどややこしく、疎外感を覚えるものはありませんね。

 お年寄りといえば、あるネット保険会社の中で、海外旅行の保険は69歳までしか入れない規定になっていることが分かりました。

 つまり、70歳以上は、その掛け捨て保険に入れないのです。

 ということは、70歳以上の人は、「人間じゃねえ!」と言われているようなものです。

 人間疎外どころか、人間侮辱、いや、差別行為ですね。

 皆さん、よう黙っていられますね。ナヌ?まだ、70歳じゃないから、自分には関係ない?

ホセ・ラミレス欲しいなあ(笑)

こんにちは

暫行懲治叛徒法違反容疑で検挙された情野義秀です。

私は、多感な少年の頃、あまりイデオロギーだの政治思想だの、経済論だのといったものに興味がなく、只管、夢中になったのは音楽でした。

特に、レノン・マッカートニーやハリスンの名曲には、打ちのめされたといった表現がピッタリで、彼らに影響されてギターも独習し始めました。

最初に、ギターを手にしたのは13歳ぐらいの時で、安い1万円ぐらいのクラシックギターを両親から買ってもらったと思いますが、記憶が定かではありません(笑)。

とにかく、イヌ・アッチ・イケー教育テレビ「ギター教室」を見ながら、独習して、どうにか、「禁じられた遊び」は弾けましたが、「アルハンブラ宮殿の想い出」ともなりますと、最後まで弾けず、クラシックはギブアップしてしまい、フォークやロックギターに転向してしまいました。

しかし、最近になって、またまた、クラシックギターに懲りだしました。ボサノヴァが大好きで、見よう見真似でやっているだけですが、つい最近、驚くべき事実(私だけかもしれませんが)を発見しました。

ビートルズの最初の映画「ア・ハードデイズナイト」(1964年)の中で「アンド・アイ・ラブ・ハー」という名曲がありまして、ベースを弾きながら歌うポールの側で、ジョージがクラシックギターを弾いていますが、このギターが、スペインの世界的に有名な名器「ホセ・ラミレス」だったのです!

これが、今、「ジョージ・ハリスン・モデル」として、販売されているんですね。何と、44万8000円ですって!しかし、こんなんで驚いてはいけませんよ。「ホセ・ラミレス工場生誕125年記念エディッション」ともなりますと、な、な、何と400万円(税抜)もするのです。ギター1本の値段がでっせ、親分!

ホセ・ラミレスは、創業者のⅠ世(1858~1923)から、Ⅱ世、Ⅲ世、Ⅳ世と受け継がれ、現在5代目のアマリア・ラミレス(1955~)が女性頭領さんのようです。

こんな高価なギターは、勿論、買えませんけど、かつての「ギター小僧」だった私は、カタログを見ているだけで涎が出てきてしまいます(笑)。