本当に久しぶりの歌舞伎鑑賞

歌舞伎座

先日、この渓流斎ブログで、ジョン・レノンと歌舞伎のことを書いたら、急に、そして無性に歌舞伎を観たくなってしまいました。

しかし、フランスと言えども、フランスはあまりにも遠し。

いや、間違えました。歌舞伎と言えども、歌舞伎はあまりにも高し。一等席が1万8000円ではとても手が出ません。

(実は、歌舞伎は江戸時代の庶民の娯楽というのは大嘘で、木戸銭は今とあまり変わらないので、庶民なんか行けるわけがない。裕福な町人か、落語に出てくるような金持ちお坊ちゃんか、大奥の絵島ぐらいしか、観ることができなかったんですよ。明治以降も同じ)

それでも、日頃、遊興に目もくれず、一心不乱になって働いている自分へのご褒美として、たまにはいいか、ということで、清水の舞台から飛び降りる覚悟で、二等席額面1万4000円也の切符を購入しました。

思い起こしても、生の歌舞伎は、何年ぶりか思い出せないくらいです。銀座の歌舞伎座が新装となってから、一度も中に踏み入れていないので、10年ぶりかもしれません。

歌舞伎座正面ファサード

自分で言っても何なんですが、こう見えても、渓流斎は、芝居巧者なんです。そんな言葉はないかもしれませんが、歌舞伎に関しては、前世紀末、ということはもう20年近く昔に、毎月欠かさず観劇しておりました。そのお陰で芝居を観る「基礎体力」を獲得することができました。

最初は、何を言っているのか、科白が聞き取れず、清元と長唄の区別もつかず、勿論、「音羽屋」も「中村屋」も掛け声の違いも分かりませんでした。

それが、半年間、イヤホンガイドのお世話になったあと、見事に開眼して(笑)、一年、二年…と続けて観ていくうちに、すっかり「通」になったような誤解が生まれてくるものです。

そして、1回見方を会得すると、ブランクがあっても一生困らない。何故なら、歌舞伎というのは、「様式美」が全てと言ってもよく、悪く言えばワンパターンですが、良く言えば、厳格な決まり事を踏襲して、型破りなことはしないので、観客も安心して観ていられるからです。

型というのは、それこそ、通だけが分かるもので、「弁慶」にしても、「三姫」にしても、人気狂言は時代が変わっても、それほど変わりませんから、「あ、それは成駒屋さんの型」「あ、それは成田屋の型」「六代目のお兄さんから教わりました」という風に言われ、もし、違いが分かれば、通の中の通です。

久しぶりの歌舞伎は昨日、勿論、東京・銀座の歌舞伎座です。

出し物(昼席)は、季節感に合わせて、秀吉=鴈治郎の「醍醐の花見」と福岡貢=染五郎、万野=猿之助の「伊勢音頭恋寝刃」、熊谷直実=幸四郎の「熊谷陣屋」でした。

実は、小生、吉右衛門と仁左衛門の贔屓なんですが、兎に角、一刻も早く芝居の世界に没入したかったので、演目を中心に選びました。

20年ほど昔、歌舞伎座に通い詰めたことを先に書きましたが、「新装開店」した新しい歌舞伎座と比較すると、驚くほど変わっていないので、逆に驚いてしまいました。伝統の重さでしょうかね。

3階に亡くなった役者さんを偲んで、顔写真のパネルが並んでいますが、そこには、若くして亡くなった勘三郎丈や三津五郎丈の姿があり、哀しくなりましたね。

昭和24年に亡くなった六代目菊五郎は、生まれていないので観られませんでしたが、ジョン・レノンが感激した歌右衛門は、私も観ているんですね。

もう40年近くも昔の学生の頃、お金がないので、3階の一幕見席でしたが、歌右衛門丈は、「伽羅先代萩」の乳母政岡役。確か、息子の千松役は、まだ少年だった橋之助(現八代目芝翫)だったと思います。

歌舞伎座

新旧歌舞伎座の違いと言えば、席順の名称が、昔は「イ、ロ、ハ、ニ…」順でしたが、今では「1、2、3、4…」と風情のないものになってしまいました。

昔は、「トチリ」(つまり、前から7、8、9番目)の席が特等席と言われ、偉い歌舞伎評論家様や新聞記者さんらがお座りになっておりました。

当時は、既に狂言台本や舞踊の脚本を何本も書かれていた萩原先生や依光先生、和田先生、水落先生、天野先生、藤田先生らがいらっしゃいました。

今回、私の席は二等席ながら1階の最後列、22番目の正面でしたが、特等席と変わらないぐらい良く見えて、オペラグラスの必要性もありませんでした。しかも、月曜日だったせいなのか、前2席、横5席も空いていたので、ゆったりと観劇できました。

ただ、上演中にお喋りを続ける芝居悪者オバタリアンには興醒めでしたが。

あと、昔は、3階の大向こうの席に、掛け声をかける人が大勢いましたが、追放されたのか分かりませんが、今は1人か2人ぐらいで、声も殆ど響きません。彼らは何処に行ってしまったのかしら。やはり、役者が見栄を張った時、掛け声が聞こえてこないと締まりがない感じでしたね。

お昼は、いつもの3階の「東京 吉兆」で、6500円のランチで舌鼓を打った、と日記には書いておこう(笑)。

滝山城~高月城 散策ツアー

滝山城跡

昨日の日曜日。春だというのに、菜種雨が降り続きました。そんな雨も、ものかは。

東京郊外の八王子にある中世の戦国武将大石氏が築城した滝山城と高月城の城址巡りツアーに、実兄のお導きで参加して参りました。参加者はWWさんら4人。

ちょうど桜がチョー満開の時期で、前日には桜祭りも開催され、本来なら見物客で立錐の余地もないほどごった返すはずの都立滝山公園も、生憎の雨で人影も疎らで、逆に本来の10分の1か、100分の1ぐらいの空いた人出で、傘を差しながらではありましたが、ゆったりと散策できました。

あるメデイアの調査によると、ここ滝山城跡は、都内の城址巡り人気ツアーでは、何と、江戸城に次ぐ第2位なんだそうですね。

知りませんでしたね、私は。…ということは、1521年(元亀2年)に滝山城を築城した大石定重(さだしげ)の名前など知る由もありません(苦笑)。

滝山城近くにある大石氏の菩提寺と想像される少林寺

大石定重は、関東管領上杉氏の宿老(重臣)で、守護代職を務めた戦国武将です。

大石氏は、定重の子定久が、小田原の北条氏照を娘婿に迎えて、北条氏の軍門に下って、消滅してしまいますので、よほどの歴史通でなければ、知る人も少ないでしょう。

しかし、その滝山城跡を実際の脚で歩いて、その規模を肌身で実感してみると、その広大さに圧倒され、大石氏の権力の甚大さも手に取るように分かりました。

この滝山城は、あの上杉謙信や武田信玄からの猛攻に見事耐え抜いたといいますから、その凄さが分かることでしょう。

謙信は越後から、信玄は甲斐の国から軍団を引き連れて峠を越えて此処までやってきたことを想像すると感無量になりませんか?

滝山城址

ちなみに、都立滝山城公園は、京王八王子、JR八王子からバスで30分ぐらいで「滝山二丁目」で下車して、徒歩20分ぐらいです。

途中、八王子駅からバスで5分ぐらいの商店街に「荒井呉服店」が見えました。恐らく、ここがあのユーミンの実家ではないかと思われます。

高月城跡

滝山城から歩いて30分のところに、高月城がありました。

ここは、話が前後しますが、滝山城を築城した大石12代将軍定重の父親の11代顕重(あきしげ)が1458年(長禄2年)に築城しました。

高月城近くにある大石氏の菩提寺と想像される円通寺

話を整理しますと、大石氏は、もともと、今の長野県は信濃国大石郷の出身で、どういう経緯か分かりませんが、関東管領上杉氏の家臣となり、今のあきる野市にある二宮に城を構え、その後、この高月城に移り、定重が滝山城に移り、その子の代で滅亡して小田原の北条氏に組み込まれるわけです。

時は、室町時代末期で、足利将軍の権力は、もう既に関東にまで及びもつきません。

室町幕府を開いた足利尊氏の四男基氏は、初代鎌倉公方として赴任し、関東の守護職の統治と監視に努めましたが、次第に執事に過ぎなかった関東管領の上杉氏の方が勢力を付け、その後、鎌倉公方は幕府と対立して今の茨城県古河市まで逃れ、古河公方として、漸く、対抗するのか精一杯でした。

まさに戦国時代ですがら、何が起きるか分からない。いっときも、気が休まらない日々と生活だったことでしょう。

湯楽の里

高月城跡は、今では私有地となってしまい、本来なら立ち入り禁止区域なのですが、微かに通る農道だけを歩かせてもらいました。ぬかるんでいたので、途中滑って転んでしまいました。

この後、拝島まで行き、結局、東京多摩地区の八王子市とあきる野市、昭島市、福生市と歩きまたぎ、帰ってスマホの万歩計を見たら、2万歩を軽く超えてました。

拝島駅から玉川上水沿いにある桜並木

拝島では、駅から歩いて20分ぐらいのところに「湯楽の里」という大型銭湯があり、疲れを癒し、ついでに喉まで潤しましたが(笑)、温泉でもなく単なる銭湯なのに、入場料は910円は暴利だなあ、と痛感。おつまみもひどく不味かった。

考えてみたら、城址を散策中、ほとんど、コンビニすら商店は見当たらず、娯楽も殆どない寂しい所でした。銭湯は高額なのに、非常に混んでいましたから、この辺りは、銭湯ぐらいしか、楽しみがないのかしら?

中世の時代、大石氏の城下町として繁栄したことでしょうが、その面影さえありませんでした。

嗚呼…

「ムーンライト」は★★★☆

うら若き桜

今年のアカデミー賞の最高栄誉である作品賞を獲得した「ムーンライト」(バリー・ジェンキンス監督作品)を近くの映画館で観てきました。

フェイ・ダナウェイがあの「ララランド」と発表を間違えた曰く付きの作品です。

で、感想ですが、うーん、でした。何とも言えない感じでした。

その時代を最も反映する最大の栄誉である作品賞だから、身銭を切って観たのですが、そうでなかったら、まず、観なかったことでせう。

カタルシスがない。まあ、ないからどうした、ということになりますが、現実に厳しい生活を強いられている人には、お勧めできませんね。

実は、この手の映画は個人的に好きではないというのが正直な感想です。

ただ、撮影編集の手法が斬新的でした。

ジャンキーの母親の女手一つで育てられた黒人のシャロンの成長物語で、大きく、幼年期、少年期、成人期の3部構成になっています。

普通、プロデューサーは似た容貌の俳優をそれぞれ配置しますが、何か、別人感がプンプン漂います(笑)。

あれだけ、ひ弱で痩せっぽちのいじめられっ子だったシャロンが、成人すると、筋肉モリモリの不敵なワルに容姿だけは激変しますが、心は救いようもないほど、幼稚で大きなトラウマを抱えている辺りはうまく描かれていました。

この映画のハイライトは、シャロンが子供の時に出会った黒人の麻薬売人フアンとの交流です。

差別と貧困に喘ぐ底辺の中で、腕力と違法行為でのし上がったフアンは、幼いシャロンに「自分の人生は自分で決めろ。他人から指図されるな」と諭しますが、皮肉なことに、成人したシャロンが選んだ職業は…?

まあ、これから観る方のために、内緒にしときます。

知らなかったフランス地方行政区改革

村上華岳の名作「夜桜」にも描かれた円山公園の枝垂れ桜 par Kyoraku-sensei

京都にお住まいの京洛先生から、村上華岳の名作「夜桜」にも描かれた円山公園の枝垂れ桜の写真を贈ってくださいましたので、アップいたします。

いつも有難う御座います。

大した魂消たです。

村上華岳の名作「夜桜」にも描かれた円山公園の枝垂れ桜 par Kyoraku-sensei

ところで、これでも私(わたくし、と安倍首相風に)渓流斎は、「フランスの専門家」と誰も言ってくれないので、ただ単に自称しているだけなのですが、つい、2年近く前に三途の川を渡りかけて全くの不勉強だったため、フランスに関して、世の中がすっかり変わっていたことを全く知りませんでした。そのことを、最近になって初めて分かったのです。

人間、やはり、ボヤボヤしていたら、置いていかれますね。(確かに、ボヤボヤしていたことはまぎれもない事実でした)

一体何のことを言っているのかと言いますと、フランスの地方圏の行政区が、2016年1月1日を境に、従来の「22」(海外地域圏は5)から、「18」(海外を含む)に統廃合されていたのです。

日本人なら、パリとかリヨンとかカンヌ程度の地名を知っていれば、もしくは知らなくても、何不自由もなく暮らせて困らないのですが、当のフランス人にとっては、明治維新後の「廃藩置県」にも相当するような革命的なことだったはずです。

そんなことさえ知らなかったんですからね。ボヤボヤしていて、日々のニュースを追っていなかったせいでした。

村上華岳の名作「夜桜」にも描かれた円山公園の枝垂れ桜 par Kyoraku-sensei

どう変わったのかと言いますと、例えば、アルフォンス・ドーデの小説「最後の授業」で有名なアルザス地方とロレーヌ地方は、隣のシャンパーニュ=アルデンヌ地方と統合して「グラン・テスト地域圏」(首府ストラスブール)になっていたのです。

知らなかったなあ…。

よく分かりませんが、あのシャンペンで有名なシャンパーニュもアルザスもロレーヌも少なくとも行政区の名前から消え去ってしまったわけです。

統合された代わりの名前の「グラン・テスト」とは、「偉大なる東」という意味です。何か、胡散臭い名前です(笑)。左派社会党政権でこんな名称を付けるものなんですかねえ?

とにかく、不勉強のため、今の時点で何でこうなったのか経緯もよく分かっておりません。

ただ言えることは、私が昔から使っていたフランス語の辞書や地図がすっかり使い物にならなくなってしまっていたということでした。

失われた今村復興大臣の時を求めて

桜はまだかひな

今月4日に行われた記者会見で、福島第一原発事故での国の対応や責任を問い糺された今村雅弘復興大臣が激昂して、質問をしたフリーの記者に対し、「出ていきなさい!」「うるさい!」と、机を叩きながら、罵声を浴びせるパフォーマンス。

今の世の中、そのニュースを見逃した人でも、出回っている動画を見ることができます。

私が会った今村という名前の人、いまだかつて、悪い人はいませんでしたけどね(笑)。

しかし、この人、見るからに悪相。「裁判やりたきゃ、やればいいじゃない」という大臣とは思えない程の開き直り。

復興大臣に、被害者にムチを打つような人格の持ち主が居座っているとは、安倍首相の任命責任が問われて当然でしょう。

しかし、大臣の資質に欠ける、という話以前に、この今村復興相は、人類として、いや、霊長類のレベルで資質に欠けています。

見るからに、悪代官風情で、知性のひとかけらもないように見えるので、本当は、興味なんて全くないんですが、この人のことを調べてみました。

今の時代、マスコミの政治部記者が独占していた「国会便覧」なんかなくても、簡単に調べられますからね。

【今村 雅弘氏】1947年1月5日、 佐賀県鹿島市生まれ。70歳。自民党所属の衆議院議員(7期)、復興大臣(第6代)。

佐賀県立鹿島高校~東京大学法学部卒。1970年、国鉄入社。民営化後、JR九州の経営管理室長などを歴任。

えっ!?

この方、最高学府を出てはったんですか?

それも、元国鉄マンだったとは!

馬酔木

あの冷血ぶりは何処から来たのか?

年格好からして全共闘世代ですから安田講堂事件の頃は、本郷で在学中。何かあったのかしら?

血も涙もない悪代官ぶり。自分が大臣であるにもかかわらず、フリーの記者相手に常軌を逸した目つきと言動。

もしかして、大新聞の記者が相手だったら、あそこまで居丈高になれなかったかもしれない(笑)小心翼々な性格。

興味はないですが、少し気になります。

しかし、九州人として恥ずかしいなあ。

ジョン・レノンと木村東介と宮島詠士

桜、サクラ、さくら

ベストセラー作家と称する輩が、雑誌で「憎っくき中国の漢文の授業を廃止せよ」と息巻いて、相変わらずの低脳ぶりを発揮しておられます。

実にアナクロニズムも甚だしい。戦時中に、鬼畜米英の「敵性英語」の授業を廃止し、野球の「セーフ」も「アウト」も禁止した冗談のような暗黒時代に導こうとしているのかしら。中国が嫌いなら、真逆に、中国の歴史や文化や言語を学ぶべきでしょう。批判するなら、それからです。

あの戦時中でさえ、極端に狭量に陥った偏狭ナショナリズムに異議を唱えた人がおりました。アジア主義者の宮島詠士(1867~1943)です。

山形県米沢出身の宮島詠士は、11歳で家族とともに上京し、勝海舟の門で学びます。その後、東京外国語大学で中国語を学び、大陸に渡り、書家として大成します。帰国後、東京で善隣書院という私塾を開校し、教育に生涯を捧げます。

この宮島詠士をやり込めてやろうと、面会した若き国粋主義者に木村東介(1901~92)がおります。血気盛んな若き東介は、国事行為に走った際に揉め事から、左腕を切り落とされていたといいます。

詠士との初対面で、東介が自分の「雲井塾塾長」の名刺と中野正剛(1886~1943)から預かっていた彼の名刺を渡すと、詠士から、その名刺を一緒にもみくちゃに握りつぶされてしまいます。

この話を東介から聞いた中野正剛は、詠士のことを「気狂い親父め」と、吐き捨てたと言われますが、東介は逆に、詠士から感化されて、偏狭な国粋主義を返上して、一介の古美術商に転向するわけです。

ここからが、本題です(笑)。

◇ジョン・レノン登場

木村東介は東京・湯島天神近くに古美術「羽黒洞」を開業します。それから40年近く経った1971年1月、丸い縁なし眼鏡を掛けた異人が東洋人の女性に伴われて、この羽黒洞を訪れます。

主人の木村東介が差し出す白隠や蕭白らの書画を見て、言い値で「オッケー」「オッケー」と頷きながらどんどん買っていきます。

この若者は一体何者なのか?

そして、この異人は、松尾芭蕉の有名な「古池や…」を見つけ、「これが欲しい。幾ら?」と隣の女性の通訳を介して尋ねてくるのです。

東介は「200万円」と即座に答えました。当時としては、眼の玉が飛び出るほど高額です。当然、諦めると思ったからです。

すると、その異人は、すかさず購入する意志を表明した上で、「どうか、日本人の宝物をロンドンに持って行ってしまうことを悲しまないでほしい。ロンドンに帰ったら、日本庭園も日本間もつくり、日本のお茶を飲みながら、これらの書画を鑑賞することを約束します」とまで言うではありませんか。

この客の2人は誰であろう。ジョン・レノンと小野洋子夫妻だったのです。そのことを東介は娘に聞かされましたが、「びいとるず」の名前を聞いたことがある程度で、ジョン・レノンの名前まで知らなかったわけです。

すっかり感動した主人の東介は、せっかく日本に来たのだから、華やかな歌舞伎でも見せてあげようと2人を歌舞伎座に招きます。

三階の一幕席でしたが、生憎、その時かかっていたのが、能に題材を取った非常に暗い悲しい話の「隅田川」でした。演じていたのが、六世歌右衛門(狂女)と十七世勘三郎(舟人)。清元は志寿太夫。

そこで、東介はさぞかしつまらないだろうと思って、「出ましょうか」と声をかけようとすると、言葉が分かるわけがないジョン・レノンが隅田川を見てポロポロと止めどもなく涙を流していたというのです。側にいた洋子さんが一生懸命にその涙を甲斐甲斐しく拭いていたそうです。

このときのジョン・レノンを見て、東介は「この人は、言葉が分からなくても魂で感じているんだな。とてつもない人だ」と悟ったそうです。

この後、東介は、ジョン・レノンにせがまれて、仲の良かった歌右衛門の楽屋に連れていき、紹介してあげたそうです。

これが縁で、翌年の歌右衛門らによるロンドン、ミュンヘンでの歌舞伎公演が実現したそうです。(松竹の永山武臣会長回想)

 これらの話は、実は、皆さんご存知の京洛先生が若き頃の1981年、かの木村東介を東京の羽黒洞でインタビューしたことがあったことから、秘話として、こっそりと小生にご教授頂いたものだったのです。

ジョン・レノン・フリークを自称する渓流斎も全く知らなかったエピソードでした(苦笑)。

【追記】早速、京洛先生から追加情報がありました(笑)。

 木村東介さんには「切り通し界隈」(博文館新社)や「不忍界隈」(大西書店)などの著作があります。

 愚生は木村東介さん本人から「切り通し界隈」を恵与賜りましたが、色々、人生の滋味が溢れています。「不忍界隈」にはジョン・レノンとの話が出ています。

  田中角栄内閣時代、歯にきぬ着せぬ言い方で、「木村元帥」「放言居士」の異名を持った木村武雄建設相(山形・米沢)は東介さんの実弟です。この人も、戦前、戦時中は「東方会」の中野正剛に師事し、戦争中は「大政翼賛会」に加わらず、「非推薦」で衆院議院に当選しました。「反東条」ですが、皆さん、今と違って、骨があります。

 意外と知られていないでしょうが、三木武夫元首相(徳島)、二階堂進元官房長官(鹿児島)らも、皆、非推薦です。

 

ルペン党首がフランス大統領に

幸手権現堂桜祭り

ウマズイめん食い村の赤羽彦作村長さんが、村民2号に引きつれられて、遠路はるばる埼玉県の幸手権現堂桜祭りにお出掛けになられた、ということで、写真を送って下さいましたので、アップさせて頂きます。

これらの写真をお使いになりたい方は、赤羽彦作村長に了解を取って下され。

幸手権現堂桜祭り

扨て、気になるのは、今月23日のフランス大統領選挙です。

あまり頼りにならない(笑)マスコミの事前予想によると、極右政党国民戦線党首のマリーヌ・ルペン党首(48)と、超党派の市民運動「前進」代表エマニュエル・マクロン前経済相(39)との一騎打ちとなりそうです。

恐らく、お二人とも、第1回投票では過半数を獲得できないので、5月の決戦投票に持ち込まれるのではないかというのが大方の見方です。

ルペンさんは、今や世界中で、知らない人は誰もいない有名人です。

もしかしたら、大塚家具の創業者の父親と跡目争いを演じて打ち勝った娘さんより有名かもしれません。

幸手権現堂桜祭り

マクロンさんの場合、まだ、30代という異様な若さが目を引きますが、それ以上に地元メデイアから一身に注目を浴びているのが、彼より24歳も年上の妻ブリジットさん(63)で週刊誌などがこぞって取り上げ、話題となっています。

ブリジットさんは、何と、マクロンさんの高校の先生だったそうですね。

昔、アラン・ドロン主演の「高校教師」という映画がありましたが(古い!)、まさに映画のようなことが実際に起きるんですね(映画の筋とは全く違って、マクロン夫婦は仲睦まじく、10年以上結婚生活を続けているようですが)

幸手権現堂桜祭り

そこで、私の勝手な予想ですが、ルペン党首が結局、フランスの大統領になると思ってます。

ルペン党首は、国粋主義者で、反イスラム、反EU、そしてトランプ米大統領と同じように親ロシアでプーチンさんが大好きです。

何故、ルペン勝利を予想できるかと言いますと、現職のオランド大統領と左派社会党の支持率がガタ落ちで、社会党から離れた有権者が、こぞって国民戦線に乗り換えているからです。

国民は、左翼が政権を握ろうと、右翼が政権を握ろうと、王制が復古しようと、ナポレオンが皇帝を宣言しようと、自分の生活が全てですからね。

国粋主義という言葉も、保護主義というマイルドな言葉に変革され、今では、アレルギーを持つ人も少なくなりました。

以前、かのアラン・ドロンさんが、マリーヌのお父さん率いる国民戦線への支持を表明して、総スカンどころか、大反発を産みましたが、今では、もうそんな事態はなくなったようです。

もう「まさか」じゃないんです。

私は、もう投票前から、ルペン大統領誕生を確信してます。

忖度の世の中は損た

馬酔木

買ったばかりのラジカセがもう壊れてしまいました。

ラジカセ、てゆーか、CDが聴けるラジオです。

そのCDが、何の曲をかけても、1分40秒で止まってしまうのです。

これを買ったのが、2016年1月。まだ、1年3カ月しか経っていません。1万3000円ぐらいしました。

でも、逆に、「1年間の保証期間」がギリギリ過ぎてしまい、修理代が全額負担になってしまいました。

二分咲き

量販店に持って行ったら、何と!案の定、修理すると、1万1000円も掛かるというのです。

これじゃあ、新しいモノに買い換えたって、変わらないじゃないすか!?

悲しいことに、この機種は、日本を代表する世界的なメーカーなんですよ。

勿論、新自由主義のグローバリズムで、安い搾取賃金で、世界第2位の経済大国で作られたものでしたけど。

安かろう、悪かろうではねえ…。

量販店のお兄さんも「ここのメーカーのこの手の修理は、多いんですよ」と言うから、穏やかではありません。不良品を市場に出していると糾弾されてもおかしくないのでは?

最近メデイアを騒がせている会社ですが、こんな庶民が使う安物でも、細かい配慮に欠けるのではないのでしょうか?

政治家や最高権力者夫人に忖度ばかりしている世の中では、そのうち、日本も駄目になりますよ。

えっ?もう既に?…

田蓑橋の桜

田蓑橋の桜 par Naniwa_sensei

 大阪の浪華先生です。

大阪・中之島の「国立国際美術館」に、「クラーナハ展」を見に出かけてきました。

 東京は桜が開花したそうですね。

大阪の桜見物は「造幣局」の通り抜けが有名ですが、堂島川に面した田簑橋傍の小さな一角に植えられた枝垂れ桜は、日当たりが良いせいか、このように咲き始めていて、カメラを向ける人が目立ちました。

 クラーナハ展は、既に”花のお江戸”では開催が終わり、その巡回が、此処、浪華でも、今月16日まで開かれています。1月28日から始まっているためか、入場者は少なく、ゆっくり見られました。

 1517年の宗教改革から500年を記念した展覧会ですが、この時代に生きた宮廷画家クラーナハは、単なる画家、芸術家というより「政治的に生きた人」とも言えますね。というのも、「宗教改革」のマルティン・ルターとも親交があり、彼の肖像画を何枚も描き、プロテスタントのシンパとして、対立するカトリック側からは、絵の注文をとる”商売人”か”実業家”と見ていたようです。

田蓑橋の桜 par Naniwa_sensei

会場に並んだ作品も、首を切断された男と、貴婦人の「ホロフェルネスの首を持つユナイト」。透けたベールの、愛の女神を描いた、艶かしい「ヴィーナス」。老いた男と、若い女性の不釣り合いなカップル」。どれも、見る人の心理を見越していて、刺激的な絵ばかりでした。

そう言えば、ここを発祥地とする大阪朝日新聞社の見るからに巨大なツインタワービルが完成しつつあります。テナントオフィスと高級ホテルが開業します。

本業である新聞販売が激減、というより頭打ちのせいか、副業の不動産業で生き残りをかける魂胆なのでしょう。

この辺り、天下国家を論じたがる新聞記者諸君は少しも分かっていない。自分たちの足元に野火が迫っているのに、手を拱いているばかり。灯台下暗しですね。

まあ、「教育勅語復活」「共謀罪採決」「お友達加計学園血税導入疑惑」の安倍首相の支持率が、いまだに50%も超えるようでは、この先の日本も心もとないですが。

貧民の反乱

Bourbon St. Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur
 京都にお住まいの京洛先生から、哀しいような笑ってしまうような複雑な話を伺いました。

 市内の公共図書館の新聞に掲載されていた「餃子の王将」の100円引きのクーポン券のところだけが切り取られる事案があったというのです。

 わずか、100円引きなのに、それ欲しさで、軽犯罪を犯す人がいるとは!

 「それはまだ良い方で、新聞そのものがなくなってしまうのです」と京洛先生は呆れ顔です。もう窃盗罪ですね。

 それだけ、今の世の中、貧困層が困窮しているのです。ホームレスの人だけでなく、若者も中年も老人も。。。国民年金が月額6万円ではどうやって暮らしていけというんじゃい、と叫びたくなりますね。100円のクーポン券を盗む人を責めることができるのは、日々の生活に困っていない人だけかもしれません。

 それだけ、今の世の中、弱肉強食のジャングル化の様相を呈してきたわけです。

 右や左だの、思想信条だのと騒ぐことができるのは、裕福な特権階級だけなのです。

 庶民に唯一できることは、税金で裕福に暮らして胡坐をかいている政治屋や派手な喧伝で暴利を貪っている詐欺師たちを監視して、異議申し立ての声を上げることですね。

Bourbon St. Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 さて、昨日は、久しぶりに感心するとても面白い記事を読みました。

 東京新聞4月1日付朝刊25面。「ツイッター 起源は奈良時代? 木簡に140字制限 『忖度』や『#』の記述も」という見出しです。「忖度」などの文字も写った木簡の写真付きです。

 内容は、大阪北部の国有地で奈良時代に制作したとみられる大量の木簡が出土し、唐などから人材が流入した影響で、ある木簡には、出世競争に負けた役人が腹いせに書いたものとみられる「異国からの流入者を制限しろ。壁をつくって流入を制限しろ。費用はやつらに払わせろ」(現代語訳)といった文字などが見つかったというのです。

 凄い歴史的大発見です。1300年経っても、人間の本質は全く変わっていないという証拠です。

 Bourbon St. Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

 でも、これほどのビッグニュースなのに、「あまり話題になっていないなあ…」と、冷静になって、その紙面の他の記事を読んでみると、「デスクメモ」とか称する囲み記事の中に「本日はエープリルフール紙面です」と書いてあるんじゃありませんか!

 ゲッ! やられた。うまくかつがれた…!