松井寿一著「がんを友に生きる」

いつぞや、笑いを研究している医療ジャーナリストのMさんのことを何度か取り上げましたが、ここで、Mさんとは、松井寿一さんであることを明らかにします。

なぜなら、最近、『がんを友に生きる』(元就出版、1575円)という本を出されたからです。

松井さんは、知る人ぞ知る有名人ですし、ホームページも持っていらっしゃいます。昨年、NHKのラジオ深夜便で登場されて、そのお話が大変好評で、放送がCD化されました。

11年前に胃がんを患って「5年後生存率は2-3割」と医者に宣言されてから、「いやしくも自分は医療ジャーナリストではないか」と気持ちを切り替えて、今日まで至った経緯を一部始終書きとめたことを一冊の本にまとめました。

笑うことによって、免疫機能が活性化するということで、「笑い」の研究を始めたのも、すべてご自身のためだったということを、今回初めて知りました。

松井さんは、自著を紹介するに当たって、こう書いています。

胃がんの第Ⅲ期と告げられた時は、まさに「青天の霹靂」で、にわかには信じられなかった。いや信じたくないという気持ちが強かった。「まさか」という思い、「なんで自分が」という憤り、「そうすりゃいいんだ」という戸惑い。…そうした経緯と闘病体験をありのままに綴ったのが、本書である。病気の人も健康な人も、がんに罹った人もそうでない人も、本書を読めば必ず元気が出てくること請け合いである。

ーぜひ、読んでみたくなりました。

ジョンコ

池田町の「スピナーズファーム・タナカ」に久しぶりに行ってきました。(ここには70匹の羊がいます。興味のある方は、ホームページを見てください)

前回行ったのが春先だったので、実に7ヶ月ぶりです。そこで、悲しい話を聞きました。未熟児に近い形で生まれたサホークの「ジョンコ」が先月、亡くなったのでした。

ジョンコは、親に見離されてしまったので、人間の方にばかりなつく不思議な子羊でした。子羊というより、小鹿のようでした。脚もクビも細く、「育つかなあ」と心配してました。案の定でしたが、あまりにものあっけなさで、涙一つも出ませんでした。大抵の羊は、長命といえば、14,5年生きればいい方だそうです。しかし、亡くなると、埋葬するのにお金が掛かるので、亡くなる前に「処分」してしまうそうです。ですから、10年くらいの命といったところでしょうか。ジョンコは、わずか、9ヶ月の命でした。合掌

帰り道のホームセンターで犬の置物がありました。「僕を買って!」と訴える目をしていたので、思わず買ってしまいました。写真がそうです。名前は、ジョンコにちなんで、同じ名前を付けました。

池田町では、駅前通りにある「ゆたか」というお食事処に入りました。店主のSさんが、食材に関して大変こだわりを持っている人で、お茶も全国を廻って、熊本県のあるお茶屋さんと契約して仕入れています。

Sさんは「ここだけの話、変なお茶は農薬を飲んでいるようなものですからね」と声を潜めて話しました。出された箸の「包み紙」にはこう書かれていました。

食は「人に良い」と書きます。
つまり、健康のためということです。
当店では、料理の基本である水は、備長炭や浄水器を使って濾過し、塩はミネラル豊富な天然塩を使用しております。
特別なことではありません。
ほんの小さなことですが、そんな気持ちでお客様をお迎えしたいと思っております。
店主

鶏肉も全国的に有名な秋田県の比内地鶏と契約していました。親子丼を食べましたが、本当に美味しかったです。
Sさんが、ここまで、拘るのには理由があります。食物添加物アレルギーに長年苦しんできたからです。Sさんは、全国、いや全世界を廻って料理修行を積んで、今の店を継いだといいます。和食から洋食まで、中華以外の色んなレパートリーがありました。

それにしても、この北海道の地で、拘りを忘れずに自分の仕事に誇りを持つ職人を見て、清々しい気持ちになりました。

追記…「スピナーズファームタナカ」のホームページを探したら、ブログもあって、ここに、在りし日のジョンコが掲載されていました。ご興味のある方はどうぞ!

新型インフルエンザ

私事ながら、昨年、インフルエンザの予防接種をしながら、インフルエンザに罹り、一週間も寝込んでしまいました。どうやら、インフルエンザにはA型だのB型だの3種類あって、おそらく、私が受けたワクチンとは違う種類のインフルエンザに罹ったらしいのです。

まるで、丁半博打みたいですね。

しかし、新型のインフルエンザに関しては、もう冗談は通じません。世界保健機関(WHO)も「Pandemic」(大流行)といって、警戒を強めています。

新型インフルエンザというのは、高病原性鳥インフルエンザのH5N1と呼ばれるウイルスがその一つで、鳥から鳥へ感染していたものが、変異して、鳥からヒトへ感染し、ついにヒトからヒトへ感染したものを指すらしいのです。

全く素人が書くものなので、詳細というか真相を知りたい方は自分でお調べになった方がいいのですが、この新型インフルエンザが、1918年のスペイン風邪(全世界で4000万人が死亡)や1968年の香港カゼのように、世界的に大流行すれば、日本では、2500万人が感染し、そのうち200万人が入院し、60万人から70万人の犠牲者が出ると予想されています。

とんでもない数字ですね。専門家は「一刻も早い対策を」と警鐘を鳴らしていますが、一般の人にはさほど危機感を感じていないようです。

予防策は、まず罹らないことなのですが、流行してもワクチンがなく、せいぜい、ワクチンができるまで半年は掛かるという話ですから、防ぎようもありません。半年も経てば夏になって、流行も終わっていることでしょう。とにかく、ウイルスにとって、乾燥した冬場が勝負なのですから。

皆さん、気をつけましょう。
この冬を乗り切って、生き延びましょう。

トレードオフ

いまだかつて経営学どころか経済学の専門書を読み通したことがないのですが、経営学の専門用語に「トレードオフ」という言葉があるそうです。

英語辞書を引くと「妥協のための取引」とありました。
要するに「何かを得るために、何かを犠牲にして失う」という商行為のことを指します。

どこかで聞いたことがありました。

12月12日の私のブログ「途方に暮れたら」で同じようなことを書いていました。

再録します。
「人は、何かを手に入れるために何かを失う。
しかし、何かを失ったとしても、決してほかのものが手に入らないわけではない。
失ったら失った分、ほかの幸せを手にすることができる。」

なるほど、経営学と人生訓と似たところがあるのですね。

「マザー・テレサ」

今日の帯広は大雪です。目測で60cmくらい積もっています。

そんな雪の中、どうしても見たかった映画を見に行きました。
オリビア・ハッセー主演の「マザー・テレサ」。こういうシリアスな名画は、興行的に難しいらしく、冷暖房完備の椅子もゆったりした駅前のT映画館ではなく、真冬でも冷房の効いた小規模の映画館でしかやってくれません。

ともかく、映画の世界に入り込んでしまったので何度も泣かされてしまいました。

オリビア・ハッセーといえば「ロミオとジュリエット」です。私も35年近く昔に東京・池袋の「文芸座」で見て、彼女のあまりにもの美しさに卒倒して、恋をしてしまったことを覚えています。スクリーンで恋をしたなんて、あれが最初で最後でしょう。

でも、配役とはいえ、かなりメイクで老け顔にしているので、残酷な時の流れを感じてしまいました。それに、彼女の鼻があんなに大きかったとは思いませんでした。ロミオ役のレナード・ホワイティングは今どうしているのでしょうか?

「マザー・テレサ」の話でした。彼女のインドのカルカッタでの慈善活動を伝記通りにほぼ忠実に辿っておりました。「西洋人の視点から見たインド」を超えることはできませんでしたが、誰かインド人の台詞の中に「それはインドに対する偏見でしょう」と言わせて、フォローしています。あるマスコミが、カルカッタが貧困と病気が蔓延しているかのように取り上げて世界中にニュースが駆け巡ったことからの反発の言葉でした。

インド人は、零を発見した祖先を持つだけに、相当優秀な民族です。かなり医学も進歩しており、大宅ノンフィクション賞作家の石川好氏は、日本の医者から見放されたある病気をインドで治した、とある記事で語っていました。

また、脱線しました。映画の中でマザー・テレサは、テレサではなくて「トレイジア」と発音されていました。
最後に彼女が亡くなって、残された人たちは、アッシジの聖フランシスコの祈りを復唱していました。

「神よ わたしに
慰められることよりも 慰めることを
理解されることよりも 理解することを
愛されることよりも 愛することを
望ませてください

私たちは与えられることよって 与えられ
すすんで許すことによって 許され
人のために命を捧げることによって
永遠に生きることが できるからです」

匿名に隠れた暴虐性について 

匿名というのは大変便利なツールです。
自分だけ「安全地帯」にいて、言いたいことを言って、やりたいことやって、さっさと逃げてしまう。まあ、透明人間みたいなものです。いや、今流行りの言葉でいえば、不審者です。犯罪者といってもいいかもしれません。

匿名ですから、罪に問われないことを十分熟知しているのでしょう。
こんなことを言っても「馬の耳に念仏」でしょうが、良心の呵責に苛まれないことが不思議でたまりません。羨ましいくらいです。

その発言については、責任が問われない、というか責任を追及することができないので、大の大人がいちいち目くじらを立てることはないのですが、最近のコメントに関しては、あまりにも目に余るので一言述べたいと思います。

匿名さんは、最初は、一応論理が通っているし、ある意味ではまともなことを衝いているので、大変教養のある知的な40代の女性だ、とこちらで勝手に想像しておりました。

しかし、どうやら違うようです。10代の女の子といったところでしょうか。精神的に。

私のブログを訪れてくださる方は、一日20人程度で、恐らく、私のことを知っている友人か知人がほとんどと思われるので、匿名さんは、偶然、見てしまった方なのでしょう。どんな不安とストレスを抱えているのか知りませんが、いきなり、見ず知らずの人間をつかまえて「最低の人間」と断じるとは、よっぽど暇なのか、真夜中の4時に投稿するくらいですから、寂しい人なのでしょう。

思わず、もう30年以上昔に読んだ太宰治のエッセイ「鉄面皮」を思い出してしまいました。

「子供の頃、私は怪談が好きで、おそろしさの余りめそめそ泣き出してもそれでもその怪談の本を手放さずに読みつづけて、ついには玩具(おもちゃ)箱から赤鬼のお面を取り出してそれをかぶって読みつづけた事があったけれど、あの時の気持と実に似ている。あまりの恐怖に、奇妙な倒錯が起ったのである。鉄面皮。このお面をかぶったら大丈夫、もう、こわいものはない。」

そう、匿名さんは、この鉄面皮を被って、強者を演じているのです。本当は弱い、極めて卑劣な人なんだろうなあ、と確信しました。

昭和22年、東大生平岡公威(のちの作家三島由紀夫)は、憧れの作家太宰治に会った際、つい、天邪鬼にも「太宰さん、あなたの作品は嫌いです」と面と向かって放言しました。太宰は、一瞬、狐につままれたような顔をしてからこう言いました。
「嫌いならここに来なければいいじゃないか」

匿名さんにも同じことを言いたい。
「嫌いならここに来なければいいじゃないか」

中札内村の『百鬼』

帯広市の隣に人口4000人ほどの村、中札内(なかさつない)があります。車で40分ほどです。
その村にあるパスタ屋さん『百鬼』に行ってきました。地産地消の精神で村で採れた新鮮な有機野菜を使った料理が有名で、早く行かないとすぐ満員で断られます。

と、ここまで、携帯メールで投稿しました。しかも、写真もです。

しかし、残念ながら、わずか3行くらいしか送れませんでした。仕方がないので、これから追記します。

『百鬼』は、知る人ぞ知る隠れファンの多いパスタ屋さんです。以前、一回行ってみたのですが、満員で断られてしまいました。

で、今回は是非とも、ということで開店の朝11時半に訪れ、余裕で間に合いました。でも、料理長一人しかいませんので、注文して30分くらい待たされます。お客さんも15人くらい入れば、満員になってしまいます。

ランチ2200円。サラダと豆腐のサラダ、蟹クリームスパゲティー、玉蜀黍を漉したクリームプリン。オレンジジュースは、黄色ではなく、天然の臙脂色でした。

窓外は一面の銀世界ですが、遠く日高山脈が見え、視界良好です。部屋にはマッキントッシュのステレオセット。ビル・エヴァンスかジョージ・シーリングのピアノトリオの曲が流れていました。

スパゲティーはちょっとしょっぱかったかなあ?でも、自家製のドレッシングがかかったサラダは、これまで食べたことがないほどの美味。デザートも甘さを抑え、全国の品評会に出せば、必ず上位入賞する代物でした。

だから、何なの?と言われれば、そうなのですが、ご報告迄。

ちなみに『百鬼』特製のドレッシングは市販されています。インターネットで手に入るかどうか分かりませんが、北海道というか、中札内にお出での節は、是非にお土産に買っていけば喜ばれることでしょう。

レコ大審査委員長失跡事件 

防犯ビデオに似た男性 レコ大審査委員長失跡 横浜のJR駅 (産経新聞) – goo ニュース

公開日時: 2005年12月15日 @ 17:48

昨日、「私の意見に反対の方、コメントしてください」と書いたら、早速、反論がありました。

どうも有難う御座いました。どなたか、分かりませんが、真夜中というか明け方の4時過ぎの投稿です。眠られなかったのでしょうか?

ま、ともかく、言論の自由は大事にしたいものです。

タイトル通り、不可解な事件?が起きました。
レコード大賞の審査委員長を務めた音楽評論家の阿子島たけしさんの自宅が全焼し、本人は行方不明というのです。

実は、私は、以前、レコード大賞の審査委員をしたことがあるので、はっきり申し上げて、この世界には詳しいのです。だから、事件の背景が容易に想像がつくのです。レコード大賞の運営を巡って、阿子島さんに対する「怪文書」が出回っていたということですから、ほぼ間違いないでしょう。

私も、今年、レコード大賞を誰が獲るのか、想像できます。大賞を誰にするのか、関係者の間でもめていた、ということも、噂で漏れ聞いてます。

でも、これ以上は書けません。

残念ながら、ブログとはいえ、まだまだ…。

髭剃り器を通して考える

5、6年使っていた電気髭剃り器の調子が悪くなったので新しく買い換えました。

前に使っていたのは国産のX社製、新しく買ったのは、外国製のY社製です。

X社製のものはシンプルでした。充電のコードが付いているだけでした。しかし、Y社製は、洗浄と充電が同時にできるアダプターが付いていました。若い人なら、「一石二鳥」ということで喜ぶかもしれませんが、このアダプターは、図体が大きくて嵩張るし、洗浄器の「水」もアルコール入りの特製のものなので、無くなったら新しい「洗浄水」のパックを買わなければなりません。

そもそも、髭剃り器の掃除などは、こんな洗浄器に任せるのではなくて、自分で刷毛を使って簡単にできるものです。要するにこんな「便利」なものはいらないのです。

今の世の中、すべて、「効率」と「便利」を金科玉条にしてすすんでいます。この流れに落ちこぼれた人間は、排除されます。

しかし、便利さを追求したおかげで、失ったものが大きいことに、人は誰も気づいていません。

それに、便利といっても、この髭剃り器の洗浄器アダプターに代表されるように、不必要なものが多いのです。

唐突ながら、真冬にトマトが食べられなくてもいいでしょう?
別に真夜中にアイスクリームを食べなくてもいいでしょう?

私の意見に賛成してくれる人は少ないかもしれませんが、反対の人はコメントしてください。

あ、そういえば、5、6年使っていたと思っていたX社製の髭剃り器。保証書が出てきて買った日を確かめてみたら、まだ3年しか使っていませんでした。

性転換 

12月12日付の十勝毎日新聞に面白い記事が載っていました。

記事といっても、帯広畜産大学の美濃羊輔名誉教授の投稿論文です。

タイトルは「性転換について」ですが、編集者が付けたようで、あまり全体の論旨になじまない気がしましたが、仕方なく踏襲します。

全部引用すると「盗作」になってしまうので、1つだけ、引用させて戴きます。

カキ、そう柿ではなく牡蠣の方ですが、その牡蠣には、冬の期間だけ、雄でも雌でもない、要するに性がない状態になるそうです。冬期は、海水の温度が低下してくると生殖器が消失してしまうのがその理由です。(私にはその理由がよくわかりませんが…)

春になると、再び生殖器が形成され、前年度の性とは関係なく、雄になったり雌になったりするらしいのです。このような生物のように、時期によって性が異なることを「時間的両性」というのだそうです。

ここで飛躍して、美濃先生は、雄とは何か、雌とは何か。はたまた人間でいえば、男とは何か、女とは何か、といった哲学的問題にまで踏み込みます。

まず、人間の場合、性転換はありえない、と申されます。なぜなら、いくら外見上作り変えても、男の性染色体はXYで、女のそれはXXだからです。(それなら、性同一障害は何なのか、までは説明されていませんでした)

そして、美濃先生はいきなり、昨今の熟年離婚の増加に着目します。結婚35年以上の離婚は、現在は1975年当時と比べて、その15倍もある、といった数字を挙げています。

「男と女は別の生物で、結局理解しあえない」と先生は言いたかったのかどうか、この論文を読んだだけでは不明ですが、最後に「時には人としての傲慢さを捨てて、少しは自然界から学んでほしいと思う昨今である」と結んでおられます。

美濃先生は「学んでほしい」というのが言いたかったのではなく、「思う昨今である」と書いてあるところをみると、これは学術論文ではなく、エッセイ風にまとめたかったのではないか、と推察します。

とにかく、この論文エッセイには感嘆しました。