「同時通訳はやめられない」

ミラノ・ドゥオモ

またまたコメント有難う御座います。

倉内様とはお名前だけからは、面識がないと思われますが、小生が痛飲したことがある友人のご友人ということで、何かの御縁でせう。これからも宜しくお願い申し上げます。

こうして、昔の、そして昔からの愛読者の皆さんが戻って来られるとは嬉しい限りです。渓流斎は、完全復活とまではいかなくても、ヨロヨロと社会復帰できました(笑)。

さて、倉内さんのコメントにも出てきました袖川裕美著「同時通訳はやめられない」を昨晩読了しました。新書ですから、一気に読めば2~3時間で読めてしまいますが、じっくり味わって読みました。

何度も書きましたが、著者の袖川さんとは渓流斎の大学時代の同級生で、昨年か、一昨年かに久し振りに同窓会で再会しました。通訳・翻訳家になったとは聞きましたが、同時通訳者として戦場のような職場でこれほど奮闘していたとは知りませんでした。

これでも、私も通訳の端っこの端っこの端くれですが(笑)、逐次通訳と同時通訳とは、月とスッポン、天と地というぐらい違います。

まず、帰国子女ほどのネイティヴなリスニングを瞬時にこなし、外国語以上に日本語力が必要とされる超難関の瞬間芸です。

まさに神業と言ってもいいでしょう。

しかし、袖川さんは、神業でも何でもなく、只管、事前準備と勉強に次ぐ勉強で、その修行僧のような特訓に終わりはなく、何十年のベテランだろうが、初心者だろうが変わらない。毎日冷や汗もので、自信を失ったり、取り戻したりの繰り返しです。なぞと告白しているのです。

読了して、同時通訳の仕事はジャーナリストと全く同じだなあと思いました。記者ではないので、書きませんが、言葉を発声するだけで、仕事の内容は変わらないわけです。

この本の中にも出てきましたが、テレビ局の同時通訳の下準備のため、彼女が寸暇を惜しんでエレベーターの中でも新聞を読んでいたところ、有名なテレビキャスターとエレベーター内で一緒になり、その人から「大変なんですね」と声を掛けられる場面かあります。

そうです。同時通訳は専門家でもないのに、専門家同士のやり取りを介在しなければならないので、政治でも経済でも美術でもスポーツでも芸能でも何でもやらなけれはなりません。(同じように、ジャーナリストも専門家ではなく、素人です)。英語の単語は分かっていても、置き換える日本語が分からなければ、通訳にならないわけです。

つまり、多くの人が誤解してますが、語学力とは、母国語力なのです。今では小学生から英語が必修になったらしいですが、国語=日本語ができなければ英語もできるわけがないのです。

だから、むしろ、小学生から「枕草紙」や「徒然草」を教えた方がいいのです。欧米人の中には、英語、独語、仏語、伊語、西語と数カ国語話せる人がいますが、同じ26文字のアルファベットを使うからできるのです。

日本語の場合、漢字、平仮名、カタカナ、ローマ字と覚えることが沢山あります。だから学習時間が必要なのです。漢字なんか、百歳になっても覚えられないでしょう(笑)。

「同時通訳はやめられない」では、著者の失敗談も出てきますが、先の太平洋戦争で、戦後、多くの台湾人らの通訳が戦犯として処刑されたことにも触れていました。

ただ、上官の命令で、通訳しただけなのに、です。しかし、捕虜になった連合国軍の兵士としては、顔が見える通訳から酷い目に遭ったと思い込んでしまうのですね。

通訳も命懸けの仕事だった時代があったわけです。

稲荷山古墳の国宝鉄剣と相見ゆ

さきたま古墳群

どなた様か分かりませんが、コメント有難う御座います。地方から東京に出てきた多くの若い人は、雑誌かネット情報で、世田谷とか目黒とか吉祥寺辺りに憧れて住みたがりますが、都内には意外と知られていない穴場があるわけです。

昨日は体育の日で、渓流斎の出所記念日に当たりましたので、遠足会を実施しました。

目的は、さきたま古墳群の稲荷山古墳で1978年に出土した115文字の金色の銘が刻まれた国宝の鉄剣の拝観です。

この企画に宇都宮氏の末裔で、古代豪族の流れをくむとも噂される栗林氏が賛同して下さり、十返舎一九さながらの弥次喜多道中で楽しくお参りができました。

まずは、埼玉県行田市の皆様には感謝申し上げます。JR行田駅東口に「行田市観光案内所」がありまして、そこで無料のレンタル自転車を拝借させて頂いたのです。

JR行田駅周辺には、驚くべきことに殆ど商店がなく、はっきり申し上げれば、かなり寂れており、道路の横断歩道の改修も何年もやっていない感じで、表示が薄れていました。市の予算がないのでしょう。

それなのに、無料で自転車を貸し出してくれるのですから、頭が下がります。

さきたま古墳群には、10基ぐらいの古墳がありまして、全てを回りきれませんでした。史料館の入場料は、200円という安さです。

お目当ての鉄剣は、本物は、東博か宮内庁で保管されて、レプリカが展示されているかと思いましたら、当時の埼玉県知事の畑和(はた・やわら=加須市出身。旧制浦和高校~東京帝大~弁護士)氏が「国宝鉄剣は、埼玉県の宝だから、県が責任を持って保管しよう」と提案して、茲、さきたま古墳群史料館で展示されるようになったそうです。これ以上錆びないように、つまり、酸化しないように、窒素ガスで、保存されておりました。

よく知られているように、この古代のさきたまの地名が、入間郡と争って県名になりました。もし、さきたまが敗れていたら、今頃、入間県になっていた可能性があるわけです。

史料館では、運良くボランティアの80歳前後のガイドさんと巡り会い、鉄剣の由来をじっくり説明して頂きました。やはり、第21代雄略天皇の時代のものらしく、鉄剣の銘には、この剣の持ち主の祖先は代々天皇の親衛隊長を務めていたと書かれているそうです。

この埼玉の豪族が、大和の天皇族との交流があった確かな証拠ですが、この埼玉の豪族がもともと大和の豪族で、埼玉に移住したのか、埼玉の豪族が大和に行ってまた戻ってきたのか、不明で、まだ解明されていないそうです。

しかも、これだけ広大な古墳をつくる豪族ですがら、邸宅跡や統治した民の住居跡があるはずなのに、古墳近辺では未だに発見されていないそうです。(周辺の火山噴火による埋没説もあるそうです)

これだけ権力を振るった埼玉の豪族の名前も不明。まさに、謎だらけです。

古墳と言えば、関西や九州にあるとばかり思っていましたが、関東にもかなり多く発掘され、今の千葉県や茨城県にはかなりあることが史料館の地図に描かれていて、私は知らなかったので、大変勉強になりました。

さきたま古墳群は綺麗に整備されて公園のようになっており、家族連れが目立ちました。

天下のNHKでは、今、古墳がブームで、沢山の古墳女子が溢れていると放送してましたけれど、一人も見かけなかったなあ…

忍城

古墳近くの小汚いお店で、名物のゼリーフライ(お好み焼き)を食してから、マイカー(レンタル自転車)で、忍城に行きました。

あの石田三成も落とせなかった「のぼうの城」として、小説化、映画化されて一躍全国区的に有名になりました。

城内は史料館になっていまして(入場料200円)、江戸時代、この忍城は徳川家康の四男が城主になったことから、譜代大名として多くの老中を輩出した雄藩だったということも初めて知りました。

いやあ、今回は、かなり収穫のある遠足会でした。

銀座はもう駄目だぁぁ


見よ!

渓流斎ブログでは、よく私のランチを掲載して、多くの方から顰蹙を買ったものです(笑)。

「銀座1000円ランチ」です。

ところが、私がよく通っていた高級料亭「和らん」のランチが、10月1日から1000円と1200円と1500円の3種類となり、1000円ランチは一瞬にして売り切れてしまうのです。

実質上の値上げかな?

そう言えば、「和らん」の周辺の和食店の1000円ランチは、軒並み1200円に値上がっています。

個人的ながら、10月1日からちょうど小生の給金がダンピングされることから、とてもついていけなくなりました。駄目じゃ、これゃ(笑)。

やはり、銀座は敷居が高いですね。

その一方で、写真を見てください。殺到してもらっては困るので都内某所としか書けませんが、ハムエッグ300円、コロッケ300円、アジフライ400円!

同じ東京でも、こちらはとても生活しやすい所です。

八色の姓とやはり世間から舐められている日本の私

 旧哈爾濱学院(現藍天幼稚園) Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

634年、天武天皇は八色の姓(やくさのかばね)を制定しました。

1、真人(まひと)2、朝臣(あそん)3、宿禰(すくね)4、忌寸(いみき)5、道師(みちのし)6、臣(おみ)7、連(むらじ)8、稲置(いなぎ)ーの8段階です。

第1位の真人(まひと)は、道教の真人(しんじん)から採用したと言われますが、完全無欠、真理を悟って人格を完成した人。仙人のことです。仏教の羅漢(らかん)に当たります。第25代武烈天皇に継嗣がなかったため、ここで天皇族は断絶したという説もありますが、北陸の三国から即位した第26代の継体天皇以降、天皇の近親者に賜姓されました。しかし、どういうわけか、次第に使われなくなり、平安時代には第2位の朝臣が最高位となりました。かつて勤めていた会社の人で、田辺真人君がいましたが、彼は自分の名前の由来を果たして知っていたのでしょうか?

第2位の朝臣(あそみ)は、皇別氏族で、かつて臣(おみ)や連(むらじ)だった物部氏や中臣氏らが昇進して賜姓されたりもしました。同じように、第3位の宿禰(すくね)は有力豪族に賜姓されましたが、かつて連だった大伴氏らが賜与されたりしました。

宿禰は、かつて足尼(すくね)と書かれたことがあり、埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した第21代雄略天皇(在位457~480年?)の時代のものと言われる鉄剣銘に「多加利足尼」とあり、この足尼は、少兄(すくなえ)のことで、高句麗の官名の小兄に由来するという説もあります。

第4位の忌寸(いみき)は、主に渡来人と国造(くにのみやつこ)に賜与されました。渓流斎ブログご愛読者ご案内の通り、渡来人とは、新羅の秦(はた)氏、百済の漢(あや)氏らのことでしたよね。秦氏は、聖徳太子の時代に広隆寺を創建した秦河勝(はたのかわかつ)が有名ですが、松尾大社も伏見稲荷大社も秦氏がつくりました。伏見稲荷は、全国3万社あると言われる稲荷神社の総大社です。

歌川広重も取り上げた「江戸百景」の「王子稲荷」も、新羅の渡来人秦氏の流れを組んでいたとは!

秦氏は京都だけではなく、今の神奈川県秦野市などにも移住し、その名前を残しています。土佐の長宗我部氏、国学者を生んだ荷田氏、総理大臣も輩出した羽田氏なども秦氏の末裔と言われていたり、自称したりしております。

第5位の道師(みちのし)と第8位の稲置(いなぎ)は、結局、賜姓されませんでした。理由はよく分かりません。ご存知の方は、どうかコメント欄にご教授して頂ければ幸甚です。

 旧哈爾濱学院(現藍天幼稚園) Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

さて、最近、暗中模索の中、見出しやプロフィールを思い切って変えたりしましたが、あんまり反応がありませんでしたねえ。

でも、不平不満をブログに書きますと、「ええ加減にせんかい!」との反応がきます(笑)。

うーん。ま、原稿料も光熱費も通信費も自前で自営でやってますので、その辺りは大目に見て頂いて、本日も「世間に舐められている日本の私」の続きをやります(笑)。

一応、9月末で諸機関を卒業しましたが、いまだに市町村税を払わさせて頂いておりまする。別にこんなこと強調することではありませんが、納税者として、微力ながら、図書館で本を借りています。(洒落です)

で、いつもネットで本を予約しているのですが、この前は、まだ、図書館所蔵ではなかったので、生まれて初めて電話で新刊を予約しました。

そして、図書館のマイページの予約欄を見たところ、自分は予約の2番目だということが分かりました。新刊ですから、私より先に電話を掛けて、最初に予約した人がいたということでしょう。本の貸し出し期限は通常は2週間です。

2番目ということは、2週間後には借りられるということなので、ウキウキして待っておりました。

それが、なかなか、貸出のOKが出ないのです。

 哈爾賓西駅 Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

ネットの図書館マイページの予約を見ると、予約が完了したのは8月20日です。ということは、9月上旬には借りられていたはずなのに、1カ月半も経っているというのに、最初に借りた悪人がまだ返却していないということです。

1カ月半も公共の本を我が物にするなんて、ちょっと、酷過ぎる。一カ月も過ぎれば、督促状も来ているはずです。それなのに、返却しないとは!

やっぱり、私は世間から舐められている!

非道違反運転手を制裁せよ!=世間から舐められている日本の私

太陽島のマトリョーシカを囲んで Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

昨日の答えは…えっ?何の話ですか?

なんて仰らないでつかわさい。昨日のブログの最後の方で、「ジャーナリストの死」を英語で何というか、質問を差し上げていたはずです。

そっか、読んでないなあ(笑)。ま、いいですけんど。

こっから初めて読まれる方でもたいちょうぷでしょう。

-ジャーナリストの死を英語で何と言うか?

答えは、thirty です。えっ? はい、thirty です。「30」です。

新聞の記事の最後の印として、文章の終わりに、―30― と書くそうですね。

そこから来ているそうです。賢明なる読者諸兄姉の皆様はご存知のことと拝察申し上げまするが…。

 木々までもマトリョーシカ Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

今日の新聞各紙一面で、日本を代表する大手広告代理店の社員が昨年、自殺されたことに関して、労災が認められたことがデカデカと報じされています。
当事者は24歳と若い女性の上、写真で拝見すると超がつく美人さん。しかも、最高学府を卒業されているようで、まさしく3拍子揃った前途ある有望な方です。

この間、発売された経済誌で、この大手広告代理店の特集をしておりましたが、この世界のX社は、あらゆるメディアに眼がゆき届き、こういったスキャンダルめいた事案は、表沙汰になる前に封印される、と書いてありましたが、こうして、一面で派手に扱われるとは、威力が落ちたということなのでしょうか?

自ら生命を断たれた彼女は、入社1年目で、ネット広告の仕事を任されて、時間外労働が100時間を超えていたそうですが、暴論と非難されるとは思いますが、メディア関係となりますと、100時間というのは、ありえない滅多にない話ではなく、かなり拘束時間が長いということは異常ではないという側面がある、と聞いたことがあります。

恐らく、彼女には仕事のストレス以外にも何か複層要因があったのかもしれませんが、他人が憶測することは憚れます。本当にお気の毒で哀悼の意を捧げたいと存じます。

 松花江遊覧を終えて Copyright Par Duc Matsuocha gouverneur

楽しみにしていた本日の大遠足会は、雨のため順延となりした。最寄り駅から、レンタル自転車を利用するので、雨ではちょっと楽しみも半減してしまいますから。

余談ですが、最近、私は、どうも世間から舐められているという被害妄想があります。

過去のことは、取り返しがつかないので、最近のことです。

青信号で横断歩道を渡っていると、右折か左折かしてくる横暴な自動車が、こちらに猛スピードで突っ込んでくるのです。歩行者優先のはずでしょ?一瞬、「轢き殺される!」と心臓が止まりそうになります。

こちらが、信号を無視して渡っているのなら許せますが、ちゃんと道路交通法を遵守しているんですからね。私が住むド田舎の自宅近くなら、民度が低いので、仕方ないなあとグッと我慢できても、昨日なんか、オリンピックのメダリストがパレードする都心中の都心の銀座で、轢き殺されそうになりましたからね。

罰当たりの運転手は、悪びれた様子もなく、30センチ手前で嫌々ブレーキを踏みます。

話は変わりますが、映画好きの私です。それが、内幕を暴露されると怖れたのか、日本アカデミー賞協会会員を一方的に馘首されました。

何か規律に違反したとかでしたら、納得いきますが、これでも一応は映画界には、貢献しているんですけどねえ。

やはり、私は世間から舐められている!

異国文化の受容と変容の研究

ミラノ

来週あたりに発表される今年のノーベル文学賞は、日本のあの作家さんが毎年のように候補筆頭として挙げられておりますが、私は、現代日本を代表する作家なら、彼ではなくて、池澤夏樹さんを挙げます。

常軌を逸した熱狂的なファンが多いあの作家さんについて、批判的なことを書くと差し障りがあるので茲では書きません(笑)。

池澤夏樹さんは先日、新聞のコラムで、「権利という言葉は、rightの翻訳だが、rightの元々の意味は『正しい』ということ。正しいから要求できる。そこに『利』を使ったために、この概念はどこか物欲しげになってしまった。『権理』だったら、理は『ことわり』だから、もっと堂々と要求できたのに」と、随分面白いことを書いていました。

ところが、です。明治になって欧米の言葉を悪戦苦闘して盛んに翻訳した先人の一人である福沢諭吉は、ちゃんとrightを「権理」と翻訳するよう主張していたのですねえ!(池澤大先生は知らなかった?)

「権利」と主張したのは、西周(にし・あまね)です。「哲学」「科学」「抽象」なる翻訳語を生み出しのは、フリーメンソンの会員だったとも言われる西周の手柄ですが、「権利」だけは、「経済」などの言葉を作った福沢諭吉の方に「理」がありそうですね(うまい!)。

以上のこと(小生も補足しましたが)を教えてくれたのは、袖川裕美著「同時通訳はやめららない」(平凡社新書)です。

以前にも書きましたが、著者は渓流斎の大学の同級生で、この本を手に入れるのにネット通販の苦天を利用したため、散々な目に遭ったことを書きました(笑)。例の本です。

袖川さんはレディですから、女優の吉田羊さんのように生年月日を公表してませんので、私も堂々と同級生と公言できます(笑)。この本は、実に面白いので、いつかまた書きます。御本人については身近で知っていたので、文章を読んでも超真面目な彼女の息遣いまで聞こえてきて、可笑しくなります。

私も袖川先生(昨年から大学の教師になったようです)に負けないように、何十年も英語とフランス語を勉強し続けておりますが、いまだに分かりませんね。イタリア旅行に行った際、航空機内で字幕なしの米国映画を見ましたが、理解度は4割程度。半分以上聴き取れなかったわけです。情けない。

先日、ラジオのビジネス英語講座を聞いていたら、「日本とアメリカは、喪服は黒色が通常ですが、中国や韓国は白色が正式です」という話を聞いて、「知らなかったなあ」と感心してしまいました。私は、御葬式は世界中、黒色かと思ってました。政治が好きな皆さんは、日本と中国・韓国は、文化が違うことを前提にしなければなりませんね。

もう一つ、「ジャーナリストの死」のことを英語で何というか?これまた、吃驚です。えっ?そうなの?じぇーん、じぇーん知らなかったです。ヒントは、中学一年生で習う単語です。

賢明な読者諸兄姉の皆様は、ご存知だと思いますが、答えは次回。お楽しみにです(笑)。

素敵な慰労会 おおそうかい

ミラノ・スカラ座

渓流斎が先月9月末で、めでたさも中くらいで複数の機関を満期で卒業できたということで、資産家の厚斗吃驚(あっとおどろく)為五郎さんが、東京・銀座の高級北海道料理店で慰労会を開いてくれました。

本当は、せっかくですから、「渓流斎ブログ 200万アクセス達成パーティー」のように、ド派手に多くのお世話になった方々を集めてやりたかったのですが、為五郎さんは「予約が取りにくい」だの、「どうせブログに名前を書くんでしょ?」などと訳の分からない御託宣を並べて恐喝するので、野郎が二人で、将棋指しのように、差し向かいで「清見」のグラスを傾けました。

私が北海道に住んでいたのは、もう10年以上昔の話です。月並みながら、月日の経つのは早過ぎます。昔話に花が咲いたりしましたが、為五郎さんは「話の内容をブログに書いたら、どうなるか分かってますか?夜道は月が出ている日とは限りませんからなあ~」と、これまた脅迫しますので、ずわんねんながら、茲で内容は書くことができません(笑)。

活版印刷時代を知っている為五郎さんは、北海道から南大東島まで、顔が広いですから(本当に)、料理店の繭社長さんとも昵懇らしく、その社長さんが昨晩所用でお店に来られないということで、一品差し入れまでありました!あと、ホエー豚の生ハムが美味かった。

為五郎さんは、私がプライベートルームに立った隙を狙って、さり気なく、カメリカンエクスプレッソのゴールデンカード(年会費10万円)で支払いを済ませてしまいました。

世の中には奇特な方がいらっしゃるものです。私は幸せもんです。有難う御座いました。

古代史は近現代史だ!

ミラノのレオナルド・ダヴィンチ像

  秋だというのに、汚れちまった悲しみで、大人になると好奇心も薄れ、子供の頃に楽しみだった運動会や遠足を誰もやってくれません。

 で、仕方がないので、今週末に秋の大遠足会を開催することにしました。

この渓流斎ブログをお読みの愛読者の皆々様は御存知だと思いますが、私は最近、ようやく近現代史から解放されて(笑)、古代史に足を踏み込み、「古事記」や「日本書紀」を読み始めたことを書きました。

 そして、密偵を派遣したところ、今は何十年かぶりの古代史ブームで、「古墳女子」なるミーチャン、ハーチャンとそれを追いかける腰抜け男子も存在することが分かってきました(笑)。

 そこで、上田正昭京大名誉教授の著作に刺激されて、まずは、位置確認サービス情報で、電車でも行ける「さきたま古墳群」に行ってみたい、といつぞや書いたこともありました。

 夏の猛暑も過ぎ、過ごしやすい秋になったので、今回、週末にその古墳群への遠足を企画したわけです。

 つい最近読了した長浜浩明著「国民のための建国史」にも、埼玉古墳群・稲荷山古墳の話が出てきます。1978年に出土した赤錆びた鉄剣に「意冨比◆土偏に危(おおひこ)」の銘が刻まれていたことが分かり、この鉄剣は、ワカタケル大王(第21代雄略天皇=在位457~480年)時代のもので、銘の大彦命とは、第9代開化天皇(同177~207年)の兄と考えられるというのです。

  さきたま古墳群は、古代の有力豪族の墓ですが、5世紀には大和朝廷の勢力がここまで及んでいたことが実証されたわけです。

 上記の年代は、長浜氏が記紀や中国の史書等を読み熟して自ら西暦に換算して推定したものです。前にも書きましたが、初代神武天皇が即位したのは皇紀660年ですが、西暦に換算すると紀元前70年で、紀元前33年に63歳で崩御されたと推定しています。となると、ローマのカエサルとほぼ同時代人なり、何か、俄然、近しみを感じます。

  戦後民主主義教育では、古事記も日本書紀も根も葉もない架空の神話で史実とは程遠いというのが通説になりましたが、長浜史観によれば、それらは占領軍のGHQによる教育戦略のせいだと断定しています。

 古代史といいながら、実は近現代史だったわけですね!

 私は、まだ始めたばかりなので、自説はありませんが、「天孫降臨」などは神話だとしても、もし仮に神武天皇が上記のような年代に実在したとすると、現実味を帯びて、古代史が面白くなってきます。

遠足は週末、鉄道省線行田駅勝手口で、自転車をレンタルして開始する予定です。マスコミの取材は、広報を通して下さい(笑)。

生涯現役

ミラノ スカラ座

今年のノーベル医学生理学賞で、オートファジー研究の大隅良典東工大栄誉教授(71)が受賞しました。京洛先生もボヤボヤしていられません。

私は、アカデミズムの世界には疎いのですが、栄誉教授という称号は初めて聞きました。国立大学の定年は、60~65歳のようです。一方、私立大学は65~70歳なので、大抵の国立大学の教授は、定年後、私立大学に移籍されます。

大隅氏は71歳ですから、名誉教授になるのが普通でしょうが、いまだに「現役」として研究生活を送ってらっしゃるようなので、栄誉教授になるのでしょう。

大学によって、千差万別ですが、ある大学は、名誉教授とはいっても、名前だけで、それこそ研究室も何もかも召し上げられ、「出社に及ばず」(笑)で、研究費も交通費も出ない。まさに、名誉職のようです。

栄誉教授となると、ある程度、面倒を見てくれるということなのでしょうか?

やはり、男は「生涯現役」が理想的です。

こんなこと書くと、最近一流クオリティペーパーにも頻繁に現出する広告みたいですが、お間違えにならないように(笑)。

スッピンマスク

ミラノ

先日、テレビで、「イタリア人は、マスクをしない」といったバラエティー番組をやってましたが、イタリア人は、マスクをしないどころか、マスクそのものを知らないといった風情でした。「暑苦しい」と、イタリア人は、すぐマスクを外してしまうのです。

で、そんな中で、この間のイタリア旅行の 帰国のミラノ国際空港で、ツアーで一緒だった日本人の若い女性の殆ど全員がマスクをかけていたので、それはそれは異様な光景でした。

これは、後から聞いたら、「スッピンマスク」と言うらしいですね。詳しい事情は、以下の通り。

今回のイタリア旅行のツアーには33人が参加しました。親子3人、初老の熟年アベック(死語)、女友達同士、新婚のハネムーンカップルなどでした。

その中で一番目立っていたのが、たった一人で参加した若い女性でした。お人形さんのように可愛らしく、二十歳そこそこの学生さんに見えました。

「こんな若い女性が一人で参加して大丈夫かな?相手は世界一腰が軽いイタリア男だからなあ」と内心心配しておりました(笑)。

そのうち顔見知りになり、少し話をしたところ、見掛けとは全く違って、かなり男っぽくて、物怖じしない性格だということが分かりました。また、美大を卒業してキャラクターデザインの会社で働くデザイナーさんであることも分かりました。

で、そのお人形さんのような清楚な彼女が、帰国のミラノ空港にいないのです。添乗員さんの点呼でやっと分かったのですが、彼女はお化粧をすっかり落として、コンタクトからぶ厚い眼鏡を掛け、顔全体をマスクで覆っていたので、近くにいても分からなかったのでした。

日本とイタリアは、13時間の長期フライトです。その間、若い女性は、お肌のために化粧しっぱなしでいるわけにはいかず、スッピンになるそうですが、その顔を隠すためにマスクをしていたわけです。

こんな奥床しいことをするのは、世界は広しと言えど、大和撫子だけでしょうねえ。

でも、清楚なお人形さんの風貌が全く分からなくなってしまったことには、参った、参った。見てはいけなものを見てしまった感じです(苦笑)。